足利尊氏

あしかがたかうじ

生没年 : 1305~1358

1333年、元弘の変に鎌倉幕府の命を受け西上したが、途中で後醍醐天皇の詔を受けて、幕府に反し、六波羅探題を滅ぼした。その功績から、建武の新政第一の功臣となり参議の地位に就いた。武蔵守に任ぜられ、天皇から賜った「尊」の1字を用いて尊氏と改名する。その後、武士を集め、公家の中心である護良親王を失脚させた。さらに、1335年、北条時行を征伐するため鎌倉に入り、中先代の乱を機に政府に反し、大挙上洛を遂げた。1338年征夷大将軍に任じられ、京都に室町幕府を設け、武家政治が復興した。一方で、後醍醐天皇が吉野において南朝を設け、これによって南北朝の動乱が幕を開くことになる。その間、弟直義や執事高師直と争そった尊氏は、1352年直義を毒殺するに至ったが、南朝及び直義党との抗争中に病死した。