柳生十兵衛三厳

やぎゅうじゅうべえみつよし

生没年 : 1607~1650

剣術家。柳生宗矩を父とする。元和2(1616)年、宗矩に従って2代将軍徳川秀忠に拝謁。同5(1617)年13歳で3代将軍徳川家光となる竹千代の小姓として仕えた。寛永3年10月、江戸から小田原に移り、その後柳生に戻る。同15年家光に召され、再び江戸に出仕。再び柳生に戻った後は隠居し、剣道を教授する。弟子は1万3600余人にも及んだという。また、武道だけでなく文才にもたけており、祖父柳生石舟斎宗厳、父宗矩から伝わる柳生新陰流の真髄を記した『月之抄』等を著わし、日本武道に貢献した。