豊臣秀長

とよとみひでなが

生没年 : 1540~1591

戦国・安土桃山時代の武将。豊臣秀吉の弟。譜代家臣を持たないことで知られる秀吉に早くから仕え、天正2(1574)年の伊勢長島一向一揆攻めの際には丹波長秀、前田利家らと先陣を務めた。また、天正5(1577)年以降中国征討に参陣し戦功をたてた。1582年、山崎の戦いで秀吉に従い明智光秀軍と戦う。同年従五位下美濃守を授かり、播磨・但馬両国を領し、居住地を姫路とした。賤ヶ岳の戦い、小牧の戦い、紀州攻略と次々に従い、紀伊・和泉に所領を移す。1585年の四国征討の際には秀吉の名代として出陣。その功が認められて所領に大和が加増され100万石を領した。さらに、居城を紀伊若山(和歌山)から大和郡山に移している。1586年、従三位参議、ついで正三位を授かる。1587年、九州征討の際も先鋒として参陣。日向国根白城に島津軍を破り、従二位権大納言を叙任され、大和大納言と呼ばれた。病没。菩提寺は春岳院。