藤原道長

ふじわらのみちなが

生没年 : 966~1027

平安中期の公卿・政治家。関白兼家の5男。はじめ兄の関白道隆の子である内大臣伊周とはけんを争ったが、996年に伊周、その弟隆家らが失脚し配流される。このことにより、道長が事実上天下の実権のほぼ全てを握ることになる。兄の関白道隆・道兼の死後は一族の勢力争いを全て抑えて政権を独占し、左大臣から摂政になった。さらには彰子ら4人の娘を一条・三条・後一条・後朱雀の4天皇の后とし、天皇の外戚として権勢をふるった。ちょうどこの時期が摂関政治の最盛期の始まりといわれている。1017年、子頼通に摂政を譲り太政大臣となり、翌年辞す。晩年は出家して法成寺を建立した。 「栄華物語」には、藤原道長が吉野山金峯神社に祈願したと記されている。