桂昌院

けいしょういん

生没年 : 1627~1705

徳川3代将軍家光の側室であり、5代将軍綱吉の母。春日局の世話で将軍家光の側室となり、綱吉を生む。家光没後は出家して桂昌院と名乗った。家光の命により綱吉の教育に努め、なかでも文学に尽力したという。綱吉が学問を好んだのは桂昌院が大きな影響を与えているといわれている。綱吉の将軍就任後、大奥の実権は桂昌院が握り、護国寺など寺社の造営、生類憐れみの令の発令にも関与した。