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のどかな“いかるがの里”にある法隆寺は、木造建築物としては世界最古。1993年には法起寺とともに「法隆寺地域の仏教建造物」として、日本で初めて世界遺産に登録され、あらためて貴重な文化遺産であることを印象づけました。その広大な境内は大きく西院と東院に分かれ、多くの国宝や重要文化財を今に伝えています。ポイントをしぼって半日、パーフェクトなら一日かけてめぐってみましょう。 |
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なぜ「いかるがの里」って呼ばれているの? |
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「いかるが」とは「イカル」という鳥のことで、漢字では「斑鳩」と書きます。黒とグレーのまだら模様で、ムクドリくらいの大きさです。この地に多く棲んでいることから名づけられたといわれています。 |
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「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」は誰が詠んだの? |
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俳人、歌人で知られる正岡子規です。生まれ故郷の松山から奈良に旅をしたときに、法隆寺の茶店で詠んだ句といわれていますが、実際は、東大寺裏の宿で食べた柿といかるがの風景を結びつけた句ともいわれています。いずれにしても、子規の目には法隆寺周辺の風景が印象的に映ったのでしょう。 |
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法隆寺が「聖徳太子ゆかりの地」といわれるのはなぜ? |
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飛鳥時代、聖徳太子は「いかるがの里」に住み、法隆寺の周辺に斑鳩宮を築いたといわれています。その後、用明天皇の意思を継いで推古天皇とともに法隆寺を建立されたのです。また、太子は法隆寺を起点に仏教を広めていきました。西院にある聖霊院には聖徳太子坐像が安置され、胎内からは三経が発見されています。 |
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聖徳太子が7回もお札になったのは本当? |
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日本のお札で最も多く登場した人物は、ずばり聖徳太子です。1930(昭和5)年発行の「乙百円券」にはじまり、記憶に新しいところでは1958(昭和33)年の「一万円券」で、じつに7回にわたってお札の顔になりました。お札には実在の人物で業績があり、知名度が高い人物や日本を代表するような人物などが選ばれます。聖徳太子が選ばれたのは、「十七条の憲法」を制定したり、仏教を保護したり、数多くの業績を残したことが大きな理由のようです。 日本銀行ホームページ>> |
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法隆寺の中門や廻廊に使われているエンタシスの柱ってどんなもの? |
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エンタシスの柱とは、古代ギリシアや古代ローマの石造建築などに見られる、柱の下部から上部にかけて少しずつ細くなった形か、柱の中央までは同じ太さで上部にかけて細くなった形で知られていますが、法隆寺の中門や廻廊の柱は、中央より下部が少し太くなっており、エンタシスでも西洋のものとは違った特徴を示しています。ところで、法隆寺では100年ごとに小修理、300年ごとに大修理を行うほか、屋根の檜皮葺きは30年ごとに葺きかえられます。こうした普段のメンテナンスが行き届いているからこそ、建造物が長く残されているのです。 |
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「太子道」ってどこへ通じるの? |
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「いかるがの里」を起点とする二つの道を、いつの頃からか「太子道」と呼ぶようになりました。一つは法隆寺から河内磯長(大阪府南河内郡太子町)に至るもの、もう一つは飛鳥へ通じるものです。磯長までの道のりには、龍田神社や達磨寺などが点在。また、飛鳥への道は住居だった斑鳩宮から仕事場だった飛鳥まで、毎日黒駒に乗って通ったと伝えられています。いずれも、太子にまつわるエピソードが残り、いにしえ人の太子への思いが伝わってきます。 |
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百済観音像、夢違観音像、救世観音像ってどんな仏像? |
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いずれも国宝で、百済観音像、夢違観音像は西院の大宝蔵院に、救世観音像は東院の夢殿に安置されています。高さ約2mの百済観音像は、日本では珍しい八頭身のスリムなボディで、慈悲深い表情で多くの人を魅了します。また、ふくよかで少女のような顔だちの夢違観音像は、その名のとおり悪い夢を良い夢に変えるという言い伝えがあります。さらに、夢殿の中央の厨子には、聖徳太子の等身像と伝えられる救世観音像を安置(春季・秋季特別開扉期間中のみ拝観可)。飛鳥彫刻の傑作といわれ、太子の等身像と伝えられる理由が世の中を救うというお名前にも表れています。 |
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聖徳太子が制定した冠位十二階って何? |
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聖徳太子は、幼少時代から天才といわれたスーパースター。彼が定めた制度のひとつに冠位十二階があります。これは高句麗や百済の冠位制度を参考にしてつくったもので、身分の高低にかかわらず才能のある人を役人に起用したという制度です。十二階は中国の「仁・礼・信・義・智」を基本にし、最高位に「徳」を加え、それぞれを大小二つに分けて十二にしました。また、冠位にはそれぞれに色が与えられ、高い位から順に紫、青、赤、黄、白、黒で表されたのです。 |
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