「あをによし 奈良の都は 咲く花の…」と、万葉集に詠まれたシルクロードの終着点。
天平文化が花開いた奈良には、数々の世界遺産や歴史的遺構が豊かな自然と一体となって存続しています。
また、季節ごとに移ろう自然の表情やどこか懐かしい町並みなど。
訪れるたびに何かある、そんな奈良の都をゆっくり歩いてみませんか。
奈良はどうして「なら」と呼ばれるようになったの? 平城京はどれくらいの広さだったの?
奈良が「シルクロードの終着点」といわれているのはなぜ? 奈良時代に栄えた天平文化とはどんな文化?
奈良公園の鹿はなぜ「神鹿」といわれるの? 奈良公園、佐紀・佐保路、西ノ京の年中行事
東大寺の大仏さまは誰がどうやって造ったの? 名物アラカルト
奈良はどうして「なら」と呼ばれるようになったの?
いくつかの説がありますが、はっきりとした理由は明らかではありません。ひとつには奈良の土地が平坦な地形で、「均したような」ということばから「なら」と呼ばれるようになったといいます。また、韓国では「なら」が「国」を意味するため、渡来人によってそう呼ばれたという説もあります。いずれにしても現在の漢字である「奈良」は平安時代に入ってからで、奈良時代には「平城、寧楽、那羅」と表記されています。
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奈良が「シルクロードの終着点」といわれているのはなぜ?
シルクロードは中央アジアを横断する古代の交通路で、中国から絹がローマに運ばれたことから絹の道、すなわち「シルクロード」と呼ばれるようになりました。奈良時代、わが国にも唐から国際色豊かな文化が伝えられ、奈良で独自の文化、芸術が花開きました。それが日本美術史上、きわめて異彩をはなった天平文化と呼ばれるもので、建築、仏像、絵画、美術工芸品が数多くつくられています。約9000点にもおよぶ正倉院の宝物は、壮大な東西交流文化の結晶であり、その一部が毎年秋に開催される「正倉院展」で公開されます。それらの宝物は奈良が「シルクロードの終着点」であることを語りかけてくるようです。
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奈良公園の鹿はなぜ「神鹿」といわれるの?
「春日大社の神様が白い鹿に乗ってやってきた」という言い伝えから、平安後期には鹿を神のお使いとして大切にするようになりました。そうして手厚く保護されてきたおかげで、今では約1200頭が生息し、天然記念物にも指定されています。10月に行われる「鹿の角きり」は、雄鹿が発情期を迎えて気が荒くなるため、危険な角を切っておくという行事。追う勢子、逃げる鹿の格闘技は迫力満点です。秋を彩る奈良公園の風物詩にもなっています。
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東大寺の大仏さまは誰がどうやって造ったの?
743(天平15)年、聖武天皇の発願によって造られた、高さ約15m、頭の螺髪(右巻きの螺旋状をしている仏さまの頭髪)だけでも直径約22㎝という、まさにビッグサイズの大仏さま。どのように造られたかは明らかではありませんが、当時大型の鋳造法として行われていた削中型鋳造によるものとされています。まず、木材の骨組みに板や竹でかごのように編み上げ土を塗りこんだ原型に土を塗りつけて外型を造り、乾燥させてからはずします。次に原型の表面を銅の厚さ分(3~5㎝)削って中型を造り、銅を流し込みます。銅が固まれば外型をはずして仕上げ作業、螺髪、蓮華座の鋳造、鍍金(金メッキ)などが行われ、これらの工程だけでも12年間かかりました。大仏殿の建築を含めると仏師や材木、金属分野の技術者、作業員など延べ260万人の人々が携わったといわれています。指揮をとった国中公麻呂は、百済からの渡来系工人の子孫で、受け継いだ優秀な技術を十二分に発揮したといわれています。まさに世紀のビッグプロジェクトといえるでしょう。
東大寺大仏(廬舎那仏坐像)
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平城京はどれくらいの広さだったの?
710年、唐の長安をモデルに造られた平城京は、長岡京遷都まで続いた日本の首都です。その広さは東西約6km、南北約5kmにもおよびます。また、朱雀大路(幅約75m)を中心に道路を碁盤の目のように整備し、周囲には高い土塀と堀をめぐらせていました。その平城京の中心となるのが、世界遺産にも登録されている平城宮跡で、現在は広大な芝生の史跡公園として整備されています。
西暦2010年には、奈良平城京の誕生から、1300年という記念すべき年を迎えます。この百年に一度、千年に一度の機会を捉え、過去と未来を結び歴史文化の祭典を開催します。
奈良の地を舞台に、「天平文化」や「世界遺産」をテーマに、奈良が受け継いだ1000年以上の歴史を体感できる多彩なイベントを展開します。
詳しくは、
  公式ホームページ http://www.1300.jp/ をご覧ください。
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奈良時代に栄えた天平文化とはどんな文化?
奈良時代、シルクロードを渡って伝えられた文化、芸術を背景に、平城京を中心に花開いた貴族文化です。時の聖武天皇の元号を取って天平文化と名づけられました。仏像や絵画は写実的になり、唐の様式や手法を積極的に用いています。東大寺の日光菩薩・月光菩薩立像、東大寺戒壇院の四天王立像、興福寺の阿修羅像、薬師寺の吉祥天女画像や正倉院の鳥毛立女屏風が代表作です。建築物は、国家の隆盛を背景に堂々たる風格の建物が造られ、『天平の甍』で知られる唐招提寺の金堂が代表的です。さらに、文学の世界では、歴史書である古事記や日本書紀が完成されるほか、わが国最古の和歌集、万葉集もこの時代につくられています。
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奈良公園、佐紀・佐保路、西ノ京の主な年中行事
1月 成人の日の前日●若草山焼/若草山
成人の日●舞楽始式/春日大社
7月 1日~10月31日●ライトアッププロムナード・なら/東大寺他
23日~24日●地蔵会式/帯解寺
2月 節分の日●節分万燈籠/春日大社 8月 上旬●なら燈花会/奈良公園一帯
14日~15日●中元万燈籠/春日大社
15日●万燈供養会/東大寺大仏殿
15日●奈良大文字送り火/高円山
3月 1日~14日●修二会(お水取り)/東大寺二月堂
3月30日~4月5日●花会式/薬師寺
9月 仲秋名月●采女祭/采女神社
仲秋名月●観月讃仏会/唐招提寺
4月 1日~7日●雛会式/法華寺
8日●修二会/新薬師寺
第2日曜とその前日●大茶盛/西大寺
10月 8日●翁舞/奈良豆比古神社
第2日曜●大茶盛/西大寺
10月中の日曜・祝日●鹿の角きり/春日大社境内 鹿苑角きり場
5月 1日~12日●薪御能/春日大社・興福寺
19日●うちわまき/唐招提寺
11月 3日●舞楽演奏会/春日大社神苑
6月 17日●三枝祭/率川神社 12月 15日~18日●春日若宮おん祭/春日大社
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名物アラカルト
奈良筆 804年空海(弘法大師)が唐から筆の製法を持ちかえり、橿原今井町の坂名井清川に伝え広めたともいわれ、清川の子孫が代々筆造りを継承し、奈良筆の流れを作ったようです。伝統的技術の高さを受け継ぎ、主に高級品、専門家用筆を中心とした産地として全国に知られています。
奈良墨 高句麗の量徴が610年に紙の製法とともに墨づくりを伝えたと言われています。その後、仏教の興隆とともに普及し、幕府に献上してから奈良墨が知れわたり、現在、墨は全国の約90%を奈良で生産しています。
一刀彫 奈良人形ともいわれ、能楽や舞楽、鹿、十二支の動物などを豪快に彫り上げる郷土人形です。
奈良うちわ 美しく染めた和紙に、鹿や藤の花などをすかし彫りした風流なうちわです。
奈良漬 奈良の漢方医が売り出したのがはじまり。ウリやナスを酒粕に漬けこんだものです。
茶がゆ 寺でお茶が薬として用いられたことがはじまり。昔はほとんどの家庭の朝食でした。
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