霊場「吉野・大峯」 金峯山寺 吉野山 吉野水分神社
金峯神社 吉水神社 大峯山寺
参詣道 大峯奥駈道 熊野参詣道小辺路
吉野山の尾根上に高くそびえる。金峯山寺は奈良時代に修験道の開祖、役行者によって開かれた。室町時代の再建である現在の堂宇は、木造古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ大きさを誇る。本尊は3体の蔵王権現。いずれも高さ7mの巨像で、国内最大級の厨子に納められた秘仏。
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吉野山は、大峰連山北端約8kmにわたる尾根で桜の名所として有名。谷や尾根を埋める桜は3万本ともいわれ、4月上旬から下旬が見頃とされる。麓から下千本、中千本、上千本、奥千本と順に開花し、山を染めていく様子は見事。この桜は、役行者が金峯山寺を開くにあたり、桜の木に感得した蔵王権現を彫って本尊とし、御神木として保護され、相次ぐ寄進を受けたことを発端とする。桜の種類は約200種とされるが、多くがシロヤマザクラ。この地は宗教都市として修験者が集まり、また南北朝時代に南朝の都が置かれた場所でもある。下の千本は吉野山でも最も古くから有名な桜の群落。その展望台は、昭憲皇太后のお野立所。
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水の配分を司る天之水分大神を主神とし7柱を祀っている。「みくまり」が訛って「みこもり」となり、子授けの神としての信仰を集めている。
社殿は慶長9年(1604)、この社の霊験によって誕生したとされる豊臣秀頼によって再建されたもの。建物は桃山時代の美しい特色を今に伝えており、三殿一棟造りの本殿(重要文化財)、拝殿(重要文化財)、幣殿(重要文化財)、楼門(重要文化財)、回廊(重要文化財)からなる。社宝として、非公開ではあるが鎌倉時代作の木造玉依姫命坐像(国宝)がある。春にシダレザクラ、初夏にスズランが美しい。
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吉野山の地主神、金山毘古命を祭神とする式内社。中世以降、修験道の修行場となり、「栄華物語」には藤原道長が祈願したところとして記されている。境内左横を下ったところに、義経が弁慶らと潜伏したことにちなんで名付けられた「義経隠れ塔」が残る。また、追手に囲まれた時、屋根を蹴破って逃げたことから「蹴抜け塔」とも呼ばれている。行者の初入峰者はこの暗闇の塔に入り、鐘を鳴らされ、気を抜かれるといわれる。
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もとは吉水院とよばれた、金峯山寺の格式高い僧坊だった。明治初期の神仏分離令発令後、後醍醐天皇、楠木正成を祭神とする神社となった。源頼朝に追われた源義経が精御前に弁慶らと身を隠した場所であること、南北朝時代に後醍醐天皇の行宮になったこと、豊臣秀吉が花見の本陣としたことなど数多くの歴史的逸話で知られている。書院(重要文化財)には後醍醐天皇玉座の間や義経潜居の間、太閤秀吉花見の間などがある。また、南朝の宝物を数多く展示しており、南朝の歴史にふれることができる。
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日本百名山で有名な大峯山系の山上ヶ岳の頂上にあり、役行者が開いた修験道の聖地。開山中は多くの修行者で賑わう。大峯山寺本堂は我が国の高所最大の木造建築物で国の重要文化財です。修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたといわれているわが国修験道発祥の地で、その主峰山上ケ岳は表と裏の行場があり、表の行場は洞川道と吉野道が合流する洞辻茶屋から、山上本堂までの登山路にそったもので、岩壁の鎖を頼りに登る「鐘かけ」、絶壁からさかさづりにされる「のぞきの行」などの修行場が有名です。
山頂からの展望は雄大なパノラマを展開して、稲村ケ岳、川迫川渓谷、弥山、八剣山、釈迦岳等の連山とはるか大台ケ原まで遠望出来ます。
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標高1914.9mの八経ヶ岳を最高峰とする紀伊山地は、近畿の屋根と称される。なかでも、吉野から熊野まで南北約50qにわたって重畳と連なる峰々は、紀伊山地の脊梁をなし、一般に大峰山脈と呼ばれている。その理由は、この山脈の北部に座す霊山山上ヶ岳を大峰と称することに由来している。したがって、広義の大峯山は大峰山脈全体を指し、狭義のそれは山上ヶ岳を指すものと言える。いずれにしてもこれらの山々は、古来から山岳修験の霊場として汎く知られた聖地であることは言うまでもない。
 この大峰山脈の北端部に位置する吉野町六田から和歌山県東牟婁郡本宮町熊野本宮までを結ぶ峻険な山道は、修検者が峰入り、山林を抖するルートで、一般に奥駈道と呼ばれている。この奥駈道上には、「七十五靡」と称される七十五カ所の行所があり、第一行所は熊野本宮証誠殿、第七十五行所は吉野六田の「柳の宿」(六田の渡し) とされる。古来、天台系山伏 (本山派) が熊野を拠点として峰入修行を行ない、やや遅れて真言系山伏 (当山派) が吉野鳥栖鳳閣寺を拠点として峰入修行を行った。このため、熊野から吉野へ至る峰入は順峰、反対に吉野を起点として熊野へ至る峰入りは逆峰と呼ばれている。(奈良県立橿原考古学研究所)
【玉置神社】
「紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれる世界遺産「玉置神社」は、標高1,076mの玉置山山頂付近に位置する古社。
江戸時代には熊野三山の奥の院だったといわれ、修験道の大霊場として降盛した。境内には歴史の深さを物語るかのように樹齢3000年といわれる巨木が茂る。社務所の襖には狩野派橘安春らの手による龍虎山水画が描かれている。合計70枚もある極彩色の杉板襖は全て一枚板。
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高野山と熊野三山の二つの聖地を結び、熊野本宮への最短路の古道である。道中は千メートルを超える3つの峠があり、険しい道だが、豊かな自然が今も手付かずで残っている。また、峠道などにも石畳の道が良好な状態で続き、熊野参詣道の中でも、往時を偲ぶにはこの道が最高との評も。雄大な自然に包まれた古道ならではの趣がある。
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 ◆ゆかりの人物
  • 役行者(えんのぎょうじゃ)
    奈良時代の宗教家。修験道の開祖とされる。大和国葛木上郡茅原村(奈良県御所市茅原)の生まれ。金剛山、葛城山で修行を重ね、蔵王権現を感得、金峯山寺、吉祥草寺、山上ケ岳(大峰山)などを開いたと伝えられている。
 ◆関連リンク
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 ◆周辺スポット
大台ヶ原 奈良県と三重県の境、日出ヶ岳(1,695m)を最高峰とする台地状の山地。日本一といわれる豪雨は、大蛇ぐらの断崖絶壁や雄大な渓谷美、トウヒやブナの豊かな原生林をはぐくみ、近畿地方における本格的な登山のメッカとなっています。
谷瀬の吊り橋 長さ297m、高さ54mと日本一のスケールを誇る鉄線の吊り橋。
ワイヤーロープで吊られている橋の足元幅は約1mで、板が渡されている。
スリルを味わおうという観光客が数多く訪れるが、眺めるだけにしておく人や、風の揺れが大きい中央付近で立ち止まる人もいる。地元の人たちにとっては大切な生活の橋。一度に渡れる人数には制限があり、約20人に限られている。
温泉 世界遺産がある吉野路の温泉で心も体も癒されてみませんか。
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