History

History 日本最古の道に刻まれた
古代の足跡をたどる

Ellen Van Goethem

エレン・ヴァン=フーテムは九州大学で日本史および思想史を専門とする教授。専門分野は古代日本の考古学と歴史であり、特に奈良時代に焦点を当てている。奈良「山の辺の道」に関する広範な研究を行い、この道と古代の都の配置、そして初期の統治者たちの治世との関連性を探求。研究は古墳時代の墓や平安時代の神社を含む奈良地域の歴史的遺跡の文化的・精神的意義を明らかにする内容。

Ellen Van Goethem

時を越える旅:
奈良・山の辺の物語

奈良県の大和高原西麓に沿って伸びる「山の辺の道」は、記録されている日本最古の道。この道は、8世紀に編纂された「古事記」や「日本書紀」といった宮廷の年代記に記されており、当時から重要な道であったことがわかります。初期の天皇である崇神天皇(紀元前30年頃没とされる)とその孫の景行天皇(130年頃没とされる)のものとされる陵墓も、この道にあります。

当時の山の辺の道の正確な経路や長さは定かではありませんが、現在の桜井市から奈良市までの区間を結ぶものだと考えられています。おそらく肥沃な奈良盆地の東端の山を沿うようにできた小道から発展したもので、先史時代から人々が住み続けている地域のため、多く遺跡が発見されています。

山の辺の道の南端に位置する三輪山は、数あるランドマークの中でも一際重要なものです。形の整った円錐形の山で、3世紀後期には祭祀の地として機能していたことが考古学的研究でわかっています。三輪山そのものがご神体として崇められ、現在も信仰の対象となっています。

山の辺の道の天理市内の北端には、4世紀に百済から伝来した七支刀を収めている石上神宮が位置しており、日本の古代国家の基盤となった奈良盆地の政治的役割を今に伝えています。

3世紀中頃から、この地域の豪族たちは古墳を築き始めました。ここを起点に同様の形をした古墳や副葬品は急速に日本列島に広がります。山の辺の道沿いにある数多くの古墳の中でも箸墓古墳は、卑弥呼の墓である可能性があると一部の学者によって推測され注目を集めています。ただし、彼女が治めた「邪馬台国」の正確な位置は依然として不明です。

その後の数世紀にわたり、ヤマト王権として知られる豪族の連合が日本全土で勢力を拡大しました。この時期から中国や朝鮮半島との接触が活発になり、文化的、宗教的、政治的な影響も強くなります。6世紀中頃には仏教が公式に伝来し、三輪山のような伝統的な祭祀の場に加え、仏教寺院が建立されるようになりました。葬儀習慣も変化し、一部の豪族は仏教の影響を受けて火葬を選び、墓室の装飾にも大陸風のデザインを取り入れるようになりました。

6世紀後期には、推古天皇が山の辺の道の南にある飛鳥の地に宮殿を築きました。その半世紀後、中国の政治制度や都市計画の影響を受けながら、日本初の都城や中央集権的な官僚制が確立されていきました。

History of Nara Yamanobe

日本最古の道として知られ、周辺にも多くの歴史の足跡を残す奈良山の辺を、歴史科学者であるタイモン・スクリーチ教授とエレン・ヴァン=フーテム教授と共に巡ります。