吉備真備

きびのまきび

生没年 : 695(?)~775

備中国(岡山県)に生まれる。奈良時代の学者、政治家。 霊亀2(716)年に阿倍仲麻呂や僧玄昉らとともに唐への留学生となり、翌年入唐した。天平7(735)年に日本に戻る。 唐に滞在した18年の間に、経書、史書を初めとして、天文、暦法、音楽、兵法などの新しい知識を習得し、「唐礼」「大えん暦経」「楽書要録」などの書籍や楽器、弓矢などを朝廷に献上した。 天平勝宝2(750)年筑前守に左遷されたが、翌年入唐使として唐に渡る。753年に再び日本に戻った。天平神護2(766)年には、中納言、大納言を経て右大臣となり、神護景雲3(769) 年、正二位にのぼった。近世以前において、学者から立身して大臣まで進んだのは、真備と菅原道真の二人だけである。 平安末期の「江談抄(ごうだんしょう)」には、真備が入唐したとき囲碁や野馬台詩などで試されたが、鬼(阿倍仲麻呂)に助けられて帰国を許されたという伝説がある。 御厨子観音妙法寺は、吉備真備の創建と伝えられる。