穴穂部間人皇女

あなほべのはしひとのひめみこ

生没年 : ?~621

欽明天皇を父とし、蘇我稲目の女小姉君(おあねのきみ)を母とする。穴穂部皇子を弟にもつ。異母兄にあたる大兄皇子(用明天皇)に嫁ぎ、廏戸(聖徳太子)・来目・殖栗(えぐり)・茨田(まんた)ら4人の皇子を生んだ。諸司を巡行中、馬宮の廏の前で廏戸皇子(聖徳太子)を出産したとの伝説で知られる。用明元(586)年、用明即位に伴って皇后となる。用明天皇没後は田目(豊浦)皇子と結ばれ、佐富女王を生んだとされている。 中宮寺は、聖徳太子が母穴穂部間人皇女の御所跡を寺にしたと伝えられる。