生没年 : 不詳
7世紀後半~8世紀初めの歌人。また、経歴についてもほとんどわかっていない。「人麿」とも書く。ごく低い官吏であったにもかかわらず、藤原京時代に宮廷歌人として持統天皇・文武天皇の行幸や諸皇子の旅に従って、近畿はもちろん、中国・九州にも旅行した。各地で数多くの歌をよみ、万葉集にも長歌18、短歌60余が載せられている。長歌・短歌ともに優れていたが、特に長歌は雄大な調子を持ち、重厚で格調高い作風に特徴がある。このように、「万葉集」第一の歌人として活躍し、後世には歌聖と称せられた。 奈良県葛城市には、人麻呂の遺骸が葬られたといわれる柿本神社がある。