中将姫

ちゅうじょうひめ

当麻曼茶羅の発願者とされる伝説上の女性。縁起によると、横佩大臣の姫が天平宝字7(763)年に尼として當麻寺奈良県北葛城郡)で出家し、阿弥陀如来と観音菩薩の助けを借りて蓮の茎からとった糸で曼茶羅を織り上げ、その功徳によって往生を遂げたとされる。鎌倉時代以降、浄土進行が広く普及するにしたがって、當麻寺に伝わる『浄土変観経曼茶羅』(当麻曼茶羅)は盛んに転写本がつくられた。それと同時に由来を説く縁起も、伝説化された。中将姫の名が定着し始めたのはこの頃からである。その名の中将姫の伝記を詳しく叙述する物語が曼茶羅の縁起に付け加え始めた。室町時代には、藤原豊成の娘で継母に憎まれ山に捨てられた後、父と再会、入内するが無常を観じて出家、曼茶羅発願をするという説話に変化する。このように中将姫の物語は當麻寺の縁起譚だけでなく、一人の女性の物語へと発展していくことになる。他に中将姫が誕生したとされる誕生寺、豊成・中将姫父子の墓が残る徳融寺、豊成の邸跡とされ中将姫の木像を所蔵する高林寺、中将姫が建立したと伝えられる青蓮寺がある。