柳生石舟斎宗厳

やぎゅうせきしゅうさいむねよし

生没年 : 1529~1606

戦国・安土桃山・江戸初期の剣術家。新陰流剣法の祖。柳生家は14世紀ごろから続く小領主で、大和柳生の庄一帯を治ていた。永禄6(1563)年、上泉信綱と奈良宝蔵院で会い、その神技に感銘を受けて入門した。その2年後、信綱から新陰流の印可状を授かった。その後、当時の多くの諸大名が宗厳の門弟となった。文禄3(1594)年、5男柳生宗矩を率いて京都で徳川家康に新陰流兵法を披露。この後、宗矩は徳川家に仕えることとなる。関ヶ原の戦いでは、宗矩を従軍させ、自らも下野国小山へ赴いた。関ヶ原の戦いの後、旧柳生領に500石を賜る。晩年は石舟斎と号して柳生谷で隠棲した。