吉備津彦命

きびつひこのみこと

第7代孝霊天皇(都は黒田廬戸宮、現:奈良県田原本町黒田大塚古墳周辺に比定)の皇子。吉備上道命臣の祖。「日本書記」によると、崇神10年、四道将軍の一人として大和から西道(山陽道)に派遣された。「古事記」では、異母弟の雅武彦命共に吉備国を平定した。山陽道では屈指の大社である岡山県吉備津神社の祭神である。 岡山県や奈良県田原本町では、吉備津彦命の温羅(うら)退治の伝承が桃太郎の話とオーバーラップして語られている。桃太郎伝説は、「鉄を欲したヤマト政権の平定譚」ともいわれ、ヤマト政権と吉備勢力とのかかわりが注目される。 卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳に葬られたとされる倭迹々日百襲姫命は同母姉にあたる。