賢憬(賢璟)

けんけい(けんきょう)

生没年 : 714~793

8世紀後半の興福寺の僧。山部親王(のちの桓武天皇)が怨霊と病気に悩まされていたため、宝生山中(奈良県宇陀市室生区)において浄行僧5人を請い延寿法が行われたが、賢璟はその一員として加えられ、山部親王との親密関係をつくる。その後、室生山中に室生寺を建立。また、宝亀11(780)年には多度神宮寺に三重塔を建立する。藤原朝臣種継暗殺事件以後次々と生じる不幸に苦悩する桓武の精神的支柱になっていた人物。延暦12(793)年、平安遷都の際、藤原朝臣小黒麻呂、紀朝臣古佐美らと地相を調べ、この年に没したとされる。