玄昉

げんぼう

生没年 : ?~746

奈良時代の法相宗の僧。717年法相宗の教学を学ぶために唐に入り、735年に帰国した。藤原武智麻呂らが悪疫に倒れたために、橘諸兄・吉備真備と共に政界での権力を握った。また、聖武天皇による東大寺建立の発意等も玄昉の進言によるところが大きいといわれ、護国の仏教確立に大きな影響を与えた。740年の藤原広嗣の乱は玄昉を除くためのものであったが、藤原仲麻呂の台頭により、745年筑紫観世音寺に左遷され、翌年その生涯を閉じた。 海龍王寺は玄昉開基とつたえられる。