太安万侶

おおのやすまろ

奈良時代の文官。安萬侶、安麻呂とも記される。姓は朝臣。多品治の子とする後世の系図がある。 慶雲元年(704年)正月7日に従五位下、和銅4年(711年)4月7日に正五位上に叙せられる。同年元明天皇稗田阿礼の誦習する『帝紀』『旧辞』を筆録して史書を編纂するよう命じられ、翌和銅5年(712年)正月、天皇に『古事記』として献上する。霊亀2年(716年)9月23日氏長となる。多氏は安万侶の時代に「多」から「太」に改めたという。 昭和54年(1979年)1月23日、奈良県奈良市此瀬町の茶畑から太安万侶の墓が発見された、火葬された骨や真珠が納められた木櫃と共に墓誌が出土したことが奈良県立橿原考古学研究所より発表された。(北緯34度39分55.0秒東経135度54分25.0秒)。墓誌の銘文は2行41字。内容は、左京の四条四坊に住んでいたこと、位階と勲等は従四位下勲五等だったこと、養老7年(723年)7月6日に歿したことなどである。 墓は『太安萬侶墓』として昭和55年(1980年)2月19日に国の史跡に指定されている。また『太安萬侶墓誌』は、昭和56年(1981年)6月9日に重要文化財に指定されている。