義淵僧正

ぎえんそうじょう

生没年 : ?~728

法相宗の僧。『扶桑略記』大宝3(703)年の伝によると、義淵の親に子が授からなかったために、長年観音に祈願していたところ、或る夜小児の泣き声が芝垣の上から聞こえ、白帖に包まれ、香気に満ちた子供がいたという。これを耳にした天智天皇は、皇子と共に岡本宮(宮跡は高市郡明日香村岡)をつくり、その子供の養育にあたったと伝わる。その子供は文武3(699)年、その学業が認められ、稲一万束を賜り、大宝3(703)年僧正となる。神亀4(727)年、聖武天皇から功績を高く評価され、俗姓市には住氏を改めて岡連の氏姓を授かった。同5(728)年、入滅。喪年の際には官人が監護にあたり、綿などを賜ったという。玄昉行基・宣教・良敏・行達・隆尊・良弁は七上足と称せられる弟子。 明日香村岡寺は義淵が草壁皇子の岡宮をもらい受け創建したと伝えられる。