来目皇子

くめのみこ

生没年 : ?~603

用明天皇を父とする。聖徳太子の同母弟。推古10(602)年、新羅遠征の将軍となり、二万五千の軍勢を率いて筑紫の島郡に行き、そこで船舶を集め出征の準備をした。しかし、来目皇子は推古10(602)年に病に倒れ、翌年筑紫で没した。周防の裟婆(さば)で殯(もがり)が行われ、山口県防府市の桑山の山頂には殯(もがり)のあとにつくられたとされる塔ノ尾古遺跡が残されている。 久米寺は、推古天皇の眼病全快を感謝して来目皇子が建立したと伝わる。