用明天皇

ようめいてんのう

生没年 : ?~587

大和時代の第31代天皇。欽明天皇を父とし、蘇我稲目の女堅塩媛を母とする。聖徳太子の父でもある。欽明天皇の代に仏教が伝来されて以降、蘇我氏と物部氏が激しく対立していたが、天皇は仏教に帰依し、その繁栄に貢献したとされる。また法隆寺薬師像光背銘によれば、用明元(586)年に病気平癒のために法隆寺の造寺・造仏を発願したとあるが、銘自体は天武朝以降のものである。在位2年で病没したといわれているが、暗殺されたとの説もある。