中大兄皇子

なかのおおえのおうじ

生没年 : 626~671

飛鳥時代(在位668~671)の天皇。即位後、天智天皇となる。舒明天皇を父とし、皇極天皇斉明天皇)を母とする。葛城皇子、中大兄皇子と称した。蘇我氏が専横を極めたために、中臣鎌足らと蘇我氏を倒す計画を立て、645年、蘇我入鹿を殺し、蘇我蝦夷を自殺に追い込んだ。これが大化の改新の始まりである。また、孝徳天皇・斉明両天皇の皇太子として、改新政治の指導にあたった。事実上、大化の改新の諸政策の立案者であり、実施者でもあった。661年の斉明天皇没後も、皇太子の地位のまま政務を努め、唐・新羅の連合軍による攻撃を受けていた百済に救援軍を出した。しかし百済は滅亡。これをもって皇子は朝鮮から一切手を引き、内政に専念することになった。近江の大津に都を移し、668年即位した。その功績としては、戸籍(庚午年籍)をつくったこと、藤原鎌足らに命じて近江令を編纂したことが特に知られている。また、皇太子時代には日本初の水時計(水落遺跡)を作ったとされる。