思託律師

したくりっし

8世紀の唐僧で、鑑真の弟子。鑑真が戒律を伝えるために日本に渡ることを決意した時から行をともにし、度重なる苦難に見舞われた。渡航を試みた12年の間に、4度造船し、五度海に入ったとされる。唐の天宝十二載(753年)の日本渡航に参加し、天平勝宝6(754)年、ついに来朝することができた。天平宝字元(757)年、備前国の水田百町と新田部親王の旧宅を勅により賜った折に、伽藍建立を任ぜられ、同3年8月、唐招提寺(平城右京五条二坊内。奈良市五条町)の建立に尽力した。また、伝香寺を建立したと伝えられている。鑑真入滅に際し詠んだ、「五言、大和上伝燈日本にて逝くを傷む」の詩は有名。