平清盛

たいらのきよもり

生没年 : 1118~1181

平安末期の武将。保元・平治の乱で源氏を圧倒し、藤原氏に代わって政界に不動の地位を確立する。1167年に太政大臣となり、1168年に出家する。1171年に娘徳子(建礼門院)を高倉天皇の中宮に入れ、その子安徳天皇を皇位につけた。一門の公卿16人、知行国30余国に及ぶ平氏の全盛期である。また兵庫港(大輪田泊)を修築して日宋貿易を行い、厳島神社を尊崇する。晩年、後白河法皇の幽閉、福原遷都などを強行したが、以仁王の令旨をうけた諸国の源氏の挙兵にあい、失意のうちに病死する。治承4(1180)年、子の平重衡を南都攻撃の総大将とし、東大寺興福寺を焼き討ちする。