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吉野路エリア 十津川村

史跡・旧跡・碑
平維盛の墓 たいらのこれもりのはか

大字五百瀬、政所の背後の山林中に一つの祠(ほこら)があり、平維盛の墓と伝えている。平維盛は寿永3年(1184)那智の海に入水(じゅすい)、27才で果てたとなっているが、全国諸々方々に維盛亡命説が伝わっている。五百瀬の維盛亡命説の一つの根拠は、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)前五百瀬にあった南望山宝蔵寺の過去帳に維盛の戒名(かいみょう)「千手院殿前三位 中将義山貞公大居士」と記されてあることである。命日は寿永三甲辰3月8日となっている。又、大和名所図会には「平維盛墓十津川五百瀬村にあり。古老曰く寿永年中、乱を避けてここに来たり、姓を変じ老死すとなん」とある。太平記の「大塔宮熊野落ち」の中で戸野兵衛(南北朝時代十津川郷の豪族)は「されば平家の嫡孫維盛と申しける人も、我らの先祖をたのんで此処にかくれ、遂に源氏の世に恙なく候ひけるとこそ承り候へ」といっている。

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