四季のおすすめスポット

奈良の春

世界遺産 吉野大峯。古来より日本一の桜の名所として知られる吉野山

吉野の桜 よしののさくら

吉野山/吉野町 
下・中・上千本 4月上旬?中旬、奧千本 4月中旬?下旬

吉野は日本一の桜の名所です。春になればおよそ3万本もの桜の花が下千本・中千本・上千本・奥千本へと約1ヶ月をかけて豪華絢爛に咲き乱れます。
その優雅で気品のある桜は、古くは古今和歌集にも読まれ、現代に至るまで多くの人の心を惹きつけてきました。
吉野の桜は、花見のために植えられたのではなく、山岳宗教と密接に結びついた信仰の桜として現在まで大切に保護されてきました。
また2004年には吉野山・高野山から熊野にかけての霊場と参詣道が『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録されました。

全国各地で行われている「薪能」の源流

薪御能 たきぎおのう

春日大社・興福寺/奈良市 
5月 第3週 金曜日~5月 第3週 土曜日

新緑まばゆい5月に春日大社と興福寺にて薪御能が行われます。薪御能の始まりは貞観11年(869)の興福寺西金堂修二会での薪猿楽とされています。猿楽は唐から飛来した散楽に起源をもち、諸大寺で神事芸能を奉仕しながら室町・観阿弥の時代に能として芸能の域に達しました。薪御能では、他では見られない儀式である「舞台あらため・外僉義(げのせんぎ)」や神殿を背にして四方正面の型で行われ、橋掛かりが通常の逆となるのが珍しい「御社上りの儀(みやしろあがりのぎ)」など、能楽の源流に触れられます。

全国各地で行われている「薪能」の源流

中興忌梵網会 うちわまき

唐招提寺/奈良市 
5月19日

鎌倉時代の中興の高僧、覚盛上人が、坐禅中に蚊にさされているのを見かねて弟子僧がたたこうとしたところ、上人は、「不殺生を守りなさい。自分の血を与えるのも菩薩行である」と言ったと伝えられています。その徳をたたえ、蚊を追い払うためうちわを供えるようになったのがうちわまきの始まりです。数百本といううちわが参拝者にまかれますが、うちわを授かることは、病魔退散や魔除けのご利益があるといわれています。

桜の周囲には桃の木も植えられ、いっせいに開花する様子は圧巻

又兵衛桜(本郷の瀧桜) またべえざくら(ほんごうのたきざくら)

宇陀市 
4月上旬?中旬

本郷区には、戦国武将として活躍した後藤又兵衛がこの地へ落ちのび、僧侶となり一生を終えたという伝説が残っており、この枝だれ桜が残る地も、後藤家の屋敷跡にあることから地元では「又兵衛桜」と呼ばれ親しまれています。一説には樹齢300年ともいわれ、幹周約3m、高さ約13mの見事な桜です。シーズンには、5~6万人の花見客で賑わいます。

奈良の夏

奈良公園一帯、古都の夜を幻想的に彩る灯りのイベント

なら燈花会 ならとうかえ

奈良公園/奈良市 
8月5日~8月14日

『なら燈花会』はゆったりと時の流れる世界遺産の地、奈良に集う人々の祈りをろうそくの灯りで照らし出します。1999年に誕生した『なら燈花会』。
古都奈良にろうそくの灯りがとけ込み、人々の心にさまざまな感動を与えてきました。
夏のたった10日間だけ、広大な奈良の緑と歴史の中にろうそくの花が咲きます。

約60種約10,000株のあじさいがおおい尽くす、別名「あじさい寺」

矢田寺のあじさい やたでらのあじさい

矢田寺/大和郡山市 
6月上旬~7月上旬

矢田寺は大和盆地を望むことができる、なだらかな丘陵の中腹にあるお寺。日本の地蔵信仰の発祥地であり、「あじさい寺」とも呼ばれています。境内一面を、約60種約10,000株のあじさいがおおい尽くし、さながら虹の国を散策するようです。

金峯山寺の三大行事の一つ

蓮華会・蛙飛び行事 れんげえ・かえるとびぎょうじ

金峯山寺/吉野町 
7月7日

役行者が産湯を使われたと伝えられる大和高田市奥田にある弁天池の清浄な蓮の華を、蔵王権現に供える法要です。
7日は弁天池の蓮の華を蔵王堂に運んでご本尊に献じ、あわせて境内では「蛙飛び行事」が執り行われます。
蛙飛び行事は、蓮華会と共に行われる行事で、大青ガエルの太鼓台が町内を練り歩き、金峯山寺蔵王堂の前で人間に戻されるという奇祭。

奈良の秋

ススキの穂が日差しを浴びて銀色・金色に輝く人気の観光スポット

曽爾高原 すすき そにこうげん すすき

曽爾村 
10月上旬?11月下旬

倶留尊山(くろそやま)のふもとに広がる約38ヘクタールの広大な高原は、秋にはススキが一面を覆い、昼間はまぶしい太陽の光を受けて銀色の波となってうねり、夕暮れには金の波となってゆれる景色は、力強く、限りなく優しい表情を見せてくれます。
また、曽爾高原の中腹には「お亀伝説」が残るお亀池があり、湿原特有の希少な植物を見ることができます。

古都の秋を彩る勇壮な行事

鹿の角きり しかのつのきり

鹿苑/奈良市 
10月

角きりは、人害防止のため江戸初期の寛文年間、南都奉行の手により奈良町の袋小路等で行われていましたが、明治24年から春日表参道を区切って観賞席を設けて行われるようになり、昭和4年には新しい鹿苑が完成して、その一部に角きり場も設けられました。
この行事は、勢子といわれる人たちが、角きり場に追い込まれた荒々しいシカをつかまえ、神官によって角を切るという、古都の秋を彩る勇壮な行事です。

春日大社の末社で猿沢池の北西に鎮座する采女神社の例祭

采女祭 うねめまつり

猿沢池/奈良市 
中秋の名月の日

猿沢池の西北の隅に鳥居を背にした珍しい神社があります。これが采女神社で『大和物語』によりますと「奈良時代に帝に仕えていた采女(後宮で帝の給仕をする女官の職名)が、帝のご寵愛が衰えたのを嘆いて猿沢池の池畔の柳に衣を掛け、入水したので、その霊を慰めるために社を建てた。しかし、采女は我が身を投じた池を見るにしのびないと一夜のうちに社を後ろ向きにした。」と伝えられています。午後5時から花扇奉納行列があり、秋の七草で美しく飾られた2m余りの花扇と数十人の稚児、御所車に乗った十二単姿の花扇使や姉妹都市 福島県郡山市から参加いただいているミスうねめ、ミス奈良などが天平衣装をまとって市内を練り歩きます。午後6時から春日大社神官による厳かな神事の後、花扇が奉納されます。午後7時 南都楽所の奏する雅楽が流れるなか、花扇をはじめ、花扇使・ミスうねめ・ミス奈良を乗せた2隻の管絃船(龍頭・鷁首)が、猿沢池に浮かぶ40余りの流し灯籠の間をぬって池をめぐり、最後には花扇を池中に投じる雅やかな行事です。

奈良の冬

古都奈良の空が朱に染まる光景は圧巻

若草山 山焼き わかくさやま やまやき

若草山/奈良市 
1月 第4週 土曜日

江戸末期頃まで「山を焼かねば、山頂のウシ墓から牛鬼が出たり、翌年に災いがある」と人々から恐れられており、それらを鎮めるために始まったとする説のほか、起源は諸説ある若草山の山焼き。当日は、聖火行列に始まり、野上神社で山焼きの無事を祈る祭典があり、花火の打ち上げ後、山肌に一斉点火されます。古都奈良の空が朱に染まる光景は圧巻です。

春日大社の摂社「若宮神社」で行われる例祭。国の重要無形民俗文化財

春日若宮おん祭 かすがわかみやおんまつり

春日大社/奈良市 
12月15日~12月18日

春日大社の摂社「若宮神社」で行われる例祭で、国の重要無形民俗文化財。
大雨洪水により飢饉、疫病に悩まされた関白藤原忠通公が万民救済のため、丁重なる祭礼を奉仕したのが始まりといわれます。以来、五穀豊穣、万民安楽を祈る大和随一の例祭として、保延2年(1136)から今日までの八百七十有余年、一度も欠かすことなく続けられています。祭りは15日から始まりますが、見どころは17日。深夜0時に若宮神をお旅所へお遷しし(遷幸の儀)、若宮神社へお還しする(還幸の儀)までの24時間、様々な神事が行われます。なかでも華やかな時代装束で練り歩く「お渡り式」は必見。途中、一之鳥居の内にある影向の松(ようごうのまつ)前では、芸能の一節や舞を演じてからお旅所へ参入していく「松の下式」が行われます。翌18日には奉納相撲や後宴能が執り行われ、これにて奈良は祭り納めとなります。

千二百余年、一度も絶えることなく引き継がれてきた法会

修二会(お水取り) しゅにえ(おみずとり)

東大寺二月堂/奈良市 
3月1日~3月15日 ※お松明は14日まで

修二会は旧暦の二月に厳修されたことよりその名がつきました。千二百余年、一度も絶えることなく引き継がれてきた法会です。天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始され、「十一面悔過会」が正式名称。二月堂の本尊「十一面観世音菩薩」の宝前で練行衆が、我々が日々犯す過ちを人々に代わって懺悔し、鎮護国家、天下泰安、五穀豊穣、万民快楽などを願う行事です。修二会は本行以前から始まる1ヶ月間に及ぶ壮大な法会。十一人の「練行衆」が発表されるのは前年の12月16日。その日以降彼らは身を清め、声明(お経)の稽古をし、やがて「別火」と呼ばれる前行に入ります。本行は、「六時の行法」といわれ、日中、日没(にちもつ)、初夜、半夜、後夜、晨朝(じんじょう)、この六つのときに悔過作法を行う厳しい修行。毎日の行のほか「お水取り」や「達陀」などの儀式も有名です。

名水と修験の里として知られる秘境の名湯

洞川温泉 どろかわおんせん

吉野郡天川村

大峯山系から発し熊野川の源流にもなっている山上川のほとり、標高約820m余りの高地に位置する洞川温泉は、名水と修験の里として知られる秘境の名湯。泉質は、無味無臭のやわらかい入り心地のよい単純温泉。歴史を感じさせる老舗旅館が連なる町並みは、懐かしい風情を醸し出し、周囲は清々しい自然の気に満ちています。大峯山は、約1300年前に役行者(えんのぎょうじゃ)によって開山されたと伝わる霊峰。洞川温泉は大峯信仰の登山基地として栄えてきた宿場です。時を重ねた人々のやさしさと温かいおもてなしが人気で、今ではカップルや女性グループも増えました。この機会に洞川温泉でほっこり、心身ともに癒されませんか。