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歩いてきました。
-剣豪の里・柳生-

柳生の里は奈良市の北東部、京都と隣接する山あいにある。ここは将軍家御流儀となった柳生新陰流とその創始者・柳生家の故郷。市内の中心部からバスで約50分の旅を楽しみながら、散策の出発点「柳生バス停」を目指した。

※コースについては「奈良大和路 おすすめモデルコースマップ」を参考にしています。

徳川時代を席巻した剣豪の里を往く

 見どころのひとつの十兵衛杉は落雷で枯れているらしく、そこで最初の目的地を旧柳生藩家老屋敷に設定し、南へ下る。
 老杉の名に冠される十兵衛とは、もちろん柳生十兵衛のこと。徳川家の兵法指南役となった柳生宗矩(むねのり)の長男で、柳生新陰流を極めたとされる剣豪だ。編み笠で片目に鍔風の眼帯をし、諸国を巡歴する姿がお馴染みだろう。
 国道に出ると、豪壮な石垣の上に立つ屋敷が目前に現れた。ここが江戸時代の後期、柳生藩家老として藩の財政を立て直した小山田主鈴(しゅれい)の屋敷だ。
 立派な表門をくぐり、資料が展示されている邸内に入る。主屋はほぼ創建当時の姿をとどめるとされ、奈良県下では唯一の武家屋敷遺構なのだという。

 家老屋敷の前に伸びる静かな旧柳生街道を進めば、十兵衛の弟・宗冬が造成した柳生八坂神社にたどりつく。ずらりと灯籠が並ぶ参道を下ったところが旧柳生藩陣屋跡への入口だ。急な階段の上に広がる陣屋跡は史跡公園として整備されており、お弁当スポットには最適の場所。4月上旬には公園をぐるりと囲む約200本のソメイヨシノが見頃になる。
 再び合流した国道沿いに歩くものの車の往来が少なく、横を流れる打滝川のせせらぎが心地いい。両側には山の緑。空は抜けるように高くて、高原を散策しているような気分になる。思わず伸びをして、清々しさを満喫した。

山中に残る神話と伝説と妖怪と

 そうして目印の「山脇バス停」を左折する。すぐにも道は細くなり、やがて杉木立に包まれたゆるやかな坂道へと入っていく。深々と静まり返った空気の中に、どこからともなく水の流れる音がこだまする。
 そこから先は急な登り坂に。道は舗装されているので歩きやすいが、ゴールが見えないのでちょっぴり弱音を吐きたくなる。
 と、小さな茶畑が開け、里を取り囲む山々が見晴らせる場所に出た。この先に巨岩をご神体とする天之石立(あめのいわたて)神社が鎮座する。
 薄暗い山中を進むと、突如、大地に突き刺さるように屹立する巨大な石の板が現れた。大きさに、断面の美しさに、つい見とれてしまう。昔の人がこの奇観に「こじ開けられた天岩戸の扉が飛来してきた」という物語を重ねたのも納得だ。
 さらに木の根道を踏みしめて奥へ向かえば、今度はドーム型の巨岩が中央で真っ二つに割れた一刀石(いっとうせき)が見えてきた。
 7メートル四方というこの巨石にも伝説がある。柳生新陰流を創始した柳生石舟斎が天狗と試合をし、一刀のもとに切り捨てたところ、石が割れて残っていたという。自然のいたずらが人々の想像力をかき立て、こうした伝承を育むのだろう。

 さて、先程の山道を少し戻って右折し、もとは柳生家の居城があった石垣の上に立つ芳徳寺へ向かう。ここは柳生家の菩提寺で、本堂裏手の松林の中に代々の柳生家の墓がある。
 寺の横手からは柳生の里が一望できる。石畳の急坂を下り、赤い欄干のもみじ橋をわたればほぼスタート地点だ。

 こうして約半日の柳生の里ウォーキングはようやく終了。柳生家の家紋入りの手ぬぐいをお土産物に、奈良市街へ向けてバスに乗り込んだ。

文:宮家美樹
本文中の情報は平成28年3月31日時点のものです

モデルコース柳生の里で剣豪なりきりの旅

柳生一族のふるさと・柳生の里。宮本武蔵が訪れたとも伝わり、大河ドラマの舞台にも。柳生一族にまつわる史跡が数多く残る。

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