モデルコース

生駒・信貴・斑鳩・葛城エリア
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1泊2日のコース
天下人の右腕 豊臣秀長と城下町の旅【2日目】

戦国の世、生涯兄の右腕として手腕を発揮した豊臣秀吉の弟・豊臣秀長は、
和泉・紀伊・大和に及ぶ100万石もの所領を有し、郡山城主に。
一方、秀長の重臣に守備を固めさせた、日本三大山城の一つ・高取城。
2つの城跡とその町並みを巡り、大和の武士の足跡をたどる旅へ。

1日目 【大和郡山】

  1. 10:00郡山城跡

    徒歩約5分

  2. 11:00永慶寺

    徒歩約7分

  3. 12:00大納言塚

    徒歩約12分

  4. 13:30洞泉寺

    徒歩すぐ

  5. 14:30源九郎稲荷神社

    徒歩約9分

  6. 15:30春岳院
1日目 【大和郡山 】はこちら

2日目 【高取】

  1. 9:30子嶋寺

    徒歩約14分

  2. 10:00くすり資料舘(高取町観光案内所「夢創舘」)

    徒歩約5分

  3. 11:50植村家長屋門

    徒歩約30分

  4. 12:30宗泉寺

    徒歩約50分

  5. 13:50高取城跡

    徒歩約1時間

  6. 15:30壷阪寺
2日目 【高取 】のコース詳細

2日目

1

高取城の遺構・二の門を構える

子嶋寺 こじまでら

高取城から移築された山門

奈良時代に創建し、かつては長谷寺、壺阪寺に次ぐ大和の観音霊場として信仰を集めました。「子嶋曼荼羅」として知られる国宝の両界曼荼羅図は平安中期、一条天皇の病気平癒祈願の功で下賜されたものと伝わります。本堂とつながるお堂「千寿院」には、高取城主・植村氏の念持仏が祀られています。山門は高取城の遺構である二の門を移築したもの。拝観は不可で、外部見学のみ可能。

DATA

  • 高市郡 高取町観覚寺544
  • 外観のみ見学自由(拝観不可)

※現在、拝観は受け付けておりません。

高取城から移築された山門

歴史の豆知識

平安初期には観音霊場として栄え、大伽藍を誇った子嶋寺。明治の廃仏毀釈で徹底的に破壊されたため今ではひっそりとした佇まいだが、京都の大寺院、清水寺は子嶋寺の僧・延鎮(えんちん)と征夷大将軍・坂上田村麻呂によって支坊として開かれたもの。子嶋寺は言わば、清水寺の“親寺”と言える。

徒歩約14分

2

高取の薬の歴史がここに

くすり資料舘(高取町観光案内所「夢創舘」) くすりしりょうかん(たかとりちょうかんこうあんないじょ「むそうかん」)

手作業で作っていた頃の道具などがずらり

高取町と薬との関わりは古く、『日本書紀』には同町で薬狩りを行ったと記されています。薬種の豊富な町で作られる家伝薬を、修験者が広めていったのが「大和の薬売り」の始まり。江戸時代には高取城植村藩主が江戸参勤の際に他の藩主に薬を贈ったほか、置き薬の行商人が各地を巡り、全国に「薬の町・高取」を知らしめました。資料館では道具や資料などから薬の歴史が学べます。

詳細はこちら

DATA

  • 高市郡高取町上土佐20-2 夢創舘内
  • 0744-52-1150

手作業で作っていた頃の道具などがずらり

  • 懐かしいレトロなパッケージ

    懐かしいレトロなパッケージ

  • 展示品を触ることもできる

    展示品を触ることもできる

  • 高取町観光案内所「夢創舘」

    高取町観光案内所「夢創舘」

歴史の豆知識

薬狩りとは、薬の原料を得るために行われた古代の宮廷行事。推古天皇の時代から始まったとされ、女性は薬草を摘み、男性は薬効がある若鹿の角を取る狩りをしたという。豊かな自然に恵まれる高取町には、薬となる動植物類が豊富にあったようだ。

徒歩約5分

3

藩筆頭家老の屋敷門

植村家長屋門 うえむらけながやもん

筆頭家老の屋敷らしい長大な間口の長屋門

長屋門は近世の上級武家屋敷の門形式の一つで、使用人や家臣を住まわせる長屋を左右に備えた門のこと。植村家長屋門は文政9年(1826)に建てられた高取藩筆頭家老の屋敷門。40m近い間口、一重入母屋瓦葺き造り、なまこ壁が重厚感を漂わせ、奈良県指定文化財にされています。現在は旧藩主植村氏の子孫の居宅の一部で、外部見学のみ可能です。

DATA

  • 高市郡高取町下子島3
  • 外観のみ見学自由
  • 近鉄壺阪山駅から徒歩約20分

筆頭家老の屋敷らしい長大な間口の長屋門

徒歩約30分

4

高取藩主・植村氏の菩提寺

宗泉寺 そうせんじ

静謐な佇まいを見せる植村氏の菩提寺

寛永17年(1640)から明治維新まで高取藩主を務めた植村氏の菩提寺。もとは初代藩主・植村家政の邸宅でしたが、下屋敷の新築に伴って元禄11年(1698)、跡地に寺が創建されました。今も天台宗延暦寺の末寺として信仰を集めており、本堂裏には植村家代々の墓碑が並びます。寺から高取城跡までは、およそ2kmのハイキングコースとなっています。

DATA

  • 高市郡 高取町上子島549-1
  • 0744-52-2607
  • 拝観自由 
  • 近鉄壺阪山駅から徒歩約45分

静謐な佇まいを見せる植村氏の菩提寺

徒歩約50分

5

日本一の規模を誇る勇壮な山城跡

高取城跡 たかとりじょうせき

麓から天守台までの高低差は390mもあったそう。延々と残る豪壮な石垣は国指定史跡

標高583mの高取山頂にあり、日本一の規模を誇った山城の跡。南北朝時代に地元の豪族が砦を築いたのに始まり、後に豊臣家臣の本多氏が築城、江戸時代に高取藩主・植村氏の居城となりました。明治期に解体されて今は石垣が残るのみですが、山上にそびえる漆喰の壁は、「巽高取 雪かとみれば 雪でござらぬ 土佐の城」と歌われるほどの威容を誇りました。

詳細はこちら

DATA

  • 高市郡高取町
  • 0744-52-3334
  • なし
  • 最寄り駅からの交通
      近鉄 壺阪山駅 徒歩2時間

●高取城CG再現プロジェクト
http://www.nara-su.ac.jp/archives/takatori/index.html

麓から天守台までの高低差は390mもあったそう。延々と残る豪壮な石垣は国指定史跡

  • 明治時代、解体される前の高取城

    明治時代、解体される前の高取城

徒歩約1時間

6

江戸時代作の秀長像と本多俊政像を安置

壷阪寺 つぼさかでら

西国三十三ヵ所第六番札所。境内には日本最大級の大釈迦如来像や大観音立像などが並ぶ

眼病平癒に霊験あらたかな十一面千手観音菩薩を本尊とする古刹。大宝3年(703)の創建で、平安時代には大勢の貴族が詣でる大伽藍を誇りましたが、度重なる大火で焼失。灌頂堂も二度の大火に遭い焼失していましたが、平成17年に再建。豊臣秀長公像とその家臣で高取藩初代藩主・本多俊政公像を安置。戦乱で疲弊した壷阪寺再興に尽力した本多一族の遺徳を顕彰しています。

詳細はこちら

DATA

  • 高市郡高取町壷阪3
  • 0744-52-2016
  • 08:30~17:00
  • ●入山料
    個人

    大人(18歳以上)…600円
    小人(17歳以下)…100円
    幼児(5歳以下)…無料

    団体割引(大人のみ)
    31名以上…450円
    51名以上…400円

    ※障がい者手帳をご提示の方は無料になります(障がい者1名様に付き添い介助の方1名様まで含む)

    2019年4月1日から
    障がい者手帳をご提示の方は半額(300円)になります
    (障がい者1名様に付き添い介助の方1名様も300円)

     
  • 第一駐車場33台(大型4台/普通車30台) 
    第二駐車場53台(大型6台/普通車50台)
    普通車:500円/バス:2,000円/自動二輪:200円
  • 最寄り駅からの交通
      近鉄 壷阪山駅
         壷阪寺前行きバス「壷阪寺前」下車すぐ

【バリアフリー情報】
 スロープ:本堂前にスロープ、参道階段に電動椅子設置
 多目的トイレ:つぼさか茶屋売店横に車椅子用トイレ設置
 車椅子の貸出:無

西国三十三ヵ所第六番札所。境内には日本最大級の大釈迦如来像や大観音立像などが並ぶ

コラム:奈良の戦国武将たち

松永久秀まつながひさひで

戦国時代の武将。はじめ弟の長頼とともに三好長慶に仕え、三好三人衆とともに三好政権を支えました。永禄2年(1559)に信貴山城に入城、続いて南都に多聞城を築き、筒井氏ら国人衆を武力で制圧するとともに、大寺社や配下の武将に関わる紛争に介入。大和国最高の公権力として君臨しました。長慶没後は三好政権の中枢を担い、三人衆による将軍足利義輝暗殺に関与しますが、のちに三人衆と対立を深め、一方で織田信長と接近します。永禄10年(1567)には東大寺に布陣する三人衆方を夜襲。このとき大仏殿が炎上します。元亀元年(1570)には信長に背き、翌年の辰市城の戦いでは筒井順慶に敗北。多聞城を明け渡し信長に許されるも、その後天正5年(1577)に再び反旗を翻し、信貴山城での籠城戦の末に自害しました。
久秀は多聞櫓を発明するなど築城の名手として知られ、千石の梟雄のイメージもありますが、千利休と茶の師匠を同じくする文化人でもありました。信貴山城跡からは茶臼の破片が採取されており、久秀の茶道との繋がりが偲ばれます。
 

筒井順慶つついじゅんけい

大和の戦国大名・筒井順昭の子として生まれ、2歳で家督を継ぐ。松永久秀の奇襲により居城・筒井城を追われた。その後、三好三人衆と結託し、筒井城を奪還。織田信長の家臣となり、天正4年(1576)信長より大和守護を任ぜられます。順慶と久秀の対立は続き、信長に謀反を起こした久秀を討伐するため信貴山城へと出陣した際には先峰を務めました。『大和志科』には、久秀の遺骸を達磨寺(王寺町)に手厚くと葬ったとあります。天正8年(1580)、居城を筒井城から郡山城に移転。信長の死後は豊臣秀吉の家臣となり、36歳の若さで病死しました。菩提寺は伝香寺(奈良市)。
 

嶋左近しまさこん

嶋氏は中世の平群谷地域を本拠地とし、代々「左近」の官職名を名乗った一族。左近清興は16世紀に活躍した武将で、筒井順慶の一派に属し、松永久秀と争いました。順慶が織田信長から大和一国の支配を認められた時期には、春日社への灯籠の寄進を行っているほか、本拠地における詰めの城である椿井城の修築を手がけたとも考えられています。
順慶の没後は国替えに従い伊賀へ赴きますが、やがて筒井氏のもとを去り、豊臣秀吉の小田原攻めには石田三成の配下として参陣。のちに三成の本拠地である佐和山に屋敷地を与えられ、秀吉政権が実施した文禄検地において平群郡岡崎村(現・生駒郡安堵町)の検地奉行を務めるなど、内政面でも手腕を発揮しました。慶長5年(1600)、左近は西軍として参戦した関ヶ原の戦いで討ち死にします。その奮戦ぶりは、左近に関する確実な記録の少なさとも相まって、後世多くの軍記物のなかで華々しく語られていくことになります。

立ち寄りスポット

壷阪漢方堂薬局 つぼさかかんぽうどうやっきょく

連子窓、虫籠窓が趣のある旧家は、3代にわたり大和の薬を取り扱ってきた漢方専門の相談薬局。一人ひとりの症状、体力、体質によって漢方薬を調合してくれるほか、吉野の大峰山で有名な「陀羅尼助丸」も取り扱っています。くすりの町の情緒あふれる薬局は、立ち寄るだけでもほっこり癒やされそうです。

  • 高市郡高取町観覚寺1467
  • 0744-52-2168
  • 9:00~19:00
  • 水・日曜、祝日
  • 近鉄壺阪山駅から徒歩約5分

茶寮「花大和」 さりょう はなやまと

明治37年創業の老舗で味わえるのは、国立富山薬科大学名誉教授の監修によって生み出された薬膳料理。従来の薬膳のイメージを払拭する美しい盛り付けと、身体の内側から綺麗になっていくような味わい。薬膳弁当3780円など。

  • 高市郡高取町清水谷1064
  • 0744-52-2289
  • 11:30~14:30、17:00~22:00
    (日曜、祝日は11:30~22:00)
  • 火曜
  • 近鉄壺阪山駅から徒歩約20分

町屋カフェnoconoco まちやかふぇのこのこ

土佐街道沿いにある、米蔵を改装したレトロなカフェ。ティータイムにおすすめなのが手作りのシフォンケーキ450円。旬のフルーツなど月替わりの味が楽しめる。モーニングやランチメニューも豊富で、散策の休憩にぴったり。

  • 高市郡高取町上土佐57
  • 0744-52-4771
  • 9:00~17:00(16:00LO) ※土・日曜、
    祝日は8:00~(季節によって変動あり)
  • 木曜
  • 近鉄壺阪山駅から徒歩約15分

金剛力酒造 こんごうりきしゅぞう

江戸時代末期から酒造りを行う酒蔵。金剛山の伏流水で仕込む清酒「金剛力」が代表銘柄だ。やや辛口ながらフルーティーな香りの純米吟醸720ml1100円、原酒720ml1050円。毎年11月末頃になると、しぼりたての新酒が登場。

  • 高市郡高取町上土佐28
  • 0744-52-2073
  • 9:00~17:00
  • 日曜、祝日
  • 近鉄壺阪山駅から徒歩約15分
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