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天平13(741)年、仏教中心の国づくりを進めた聖武天皇の勅願により、総国分寺として建立。国力を注いだ事業である大仏建立は3年をかけ、天平勝宝4(752)年、開眼法要が盛大に営まれた。
治承4(1180)年、平重衡の南都焼き討ちによって大半の堂塔が焼失したが、すぐに重源の勧進で復興。
しかし永禄10(1567)年に松永久秀の兵火にかかり、再焼失した。現在の寺観は、江戸中期になって再現されたもの。境内には「奈良の大仏」として名高い盧舎那仏坐像が安置されている大仏殿(国宝)、東大寺創建当時の遺構を残す転害門(国宝)をはじめ、鎌倉時代復興の代表作である南大門、鐘楼、三月堂、二月堂(いずれも国宝)といった数多くの著名な建造物がたち並ぶ。
また、戒檀院の四天王像、南大門の運慶・快慶合作の金剛力士立像など天平時代や鎌倉時代を代表する優れた仏像の多くを見ることができるのも、東大寺の魅力の一つといえる。 |
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京都山科の藤原鎌足私邸に建立された山階寺が前身。飛鳥を経て、和銅3(710)年平城遷都に伴い、藤原不比等によって現在地に移転され、興福寺と名付けられた。以降、藤原氏の氏寺として大いに繁栄した。
奈良時代初期には四大寺の一つにあげられ、四町四方に170坊あまりの堂舎が立ち並ぶ寺院として隆盛を極めた。
治承4(1180)年の平重衡の南都焼討ちによって焼失した堂塔は、鎌倉時代に復興を遂げたものの、その後の相次ぐ失火や火災によって大半の建物を失った。
境内には光明皇后創建とされる興福寺五重塔(室町時代再建・国宝)、聖武天皇創建とされる興福寺東金堂(室町時代再建・国宝)、三重塔(鎌倉時代再建・国宝)、元明天皇・元正天皇創建とされる興福寺北円堂(鎌倉時代再建・国宝)の国宝建築物をはじめ、興福寺南円堂(江戸時代再建・重要文化財)、興福寺国宝館、中金堂などが立っている法相宗の総本山。また多くの天平時代の仏教彫刻の名品を多く保存している。 |
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和銅3(710)年、藤原不比等が平城遷都の際、藤原氏の氏神を祀ったのが始めといわれる。神護景雲2(768)年、今の地に社殿が造営され、現在のような規模が整ったのは平安時代前期のこと。境内には、朱塗りのあでやかな社殿が立ち、古来より藤の名所としても有名。また、境内には春日大社宝物殿があり、国宝・重要文化財520点を含む約3000点を収蔵、公開している。皇室の尊崇に加えて、庶民の信仰も厚かったため、数多くの灯籠が奉納された。一の鳥居(重要文化財)から春日灯籠が並ぶ参道を行くと、以前は万葉植物園と呼ばれていた春日大社神苑がある。園内には万葉集に登場する草花約300種が植えられており、ゆかりの万葉歌が添えられている。背後の春日山を包む春日山原始林は、春日大社の社叢として保護されてきたことで、太古の姿を現在に伝える。(国の特別天然記念物に指定)1998年12月に「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録された。 |
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春日大社の背山一体は、大社の神山として1000年以上も伐採が禁じられていたため、スギなどの大木が生い茂る原始林となっており山内には、モリアオガエル、ルーミスシジミ(天然記念物)など珍しい動物が生息している。1998年12月に「古都奈良の文化財」として、世界遺産に登録された。 |
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| 蘇我馬子が建立したといわれる日本最古の寺院、飛鳥寺(法興寺)がその前身といわれている。かつては、南都七大寺の一つとして奈良市街の南西部を境内とする広大な寺院だったが、現在は極楽坊本堂と禅室を残すのみとなっている。本堂と禅室には建立当初の瓦が今もなお使われている。禅堂は天平時代の僧坊の形をとどめる貴重な遺構。収蔵庫には五重小塔(国宝)や聖徳太子坐像(重要文化財)を安置。中世〜江戸期の貴重な庶民信仰資料なども収蔵されており、中世以降庶民に支えられてきた歴史を物語る。 |
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天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を願い造営が始められ、藤原京に完成。平城遷都に伴い、養老2(718)年、現在地に移築されたと伝わる。
奈良移転当初は金堂、東西両塔、講堂、回廊が立ち並び、「竜宮造り」と呼ばれるほどの華麗さを誇ったこの寺も、16世紀に兵火に焼かれて灰となり、東塔(国宝)を残すのみとなった。創建当時の唯一の遺構である東塔は、現在に白鳳時代の様式を伝えている。
現在、伽藍復興により、昭和51年の金堂に始まり、昭和56年に西塔が、以後、中門、回廊などの白鳳伽藍が次々と再建されている。朱塗りの欄干、金色に輝く鴟尾などからは、建立当時の華やかさを窺い知ることができる。
寺宝としては吉祥天女画像や薬師三尊像などがあげられる。1998年12月に「古都奈良の文化財」として、世界遺産に登録された。また2000年12月31日、平山郁夫画伯が30年の歳月をかけて玄奘三蔵院「大唐西域壁画」を完成、注目を集めている。 |
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唐の高僧鑑真和上が聖武天皇に招かれ、12年もの間、幾度にも及ぶ苦難の末に来日を果たしたのち、天平宝字3(759)年、新田部親王の旧邸を賜り受け創建。奈良の大寺のほとんどが勅願による官寺であるのに対し、この寺は鑑真和上発願による私院であることが特徴。
境内には金堂、講堂、宝蔵、鼓楼(いずれも国宝)をはじめとする伽藍が立ち並んでいる。これらは、朝廷などの寄進により徐々に整えられていったもので、現在でも創建時の姿を伺い知ることができる。
また、天平彫刻の傑作も数多く安置されている。なかでも御影堂の鑑真和上像(国宝)は、わが国に現存する最古の肖像彫刻で、晩年をむかえた鑑真和上の深い精神性を感じさせる。開山堂前には、和上像に対面して芭蕉が詠んだ「若葉して御目の雫拭はばや」の句碑が立てられている。
わが国に残る最大の天平建築である金堂(国宝)は、平成12年から約10年をかけて本格的な解体修理が行われている。 |
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和銅3年(710)に藤原京より遷都された平城京の中心であった宮跡。併設されている平城宮跡資料館・遺構展示館では、多数の出土品の展示や遺構が発掘されたままの状態で公開されています。
平成10年に復元された「朱雀門」も見所です。 |
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| ◆関連リンク |
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| ◆周辺スポット |
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奈良公園 |
奈良市街の東一帯、東大寺、春日大社、興福寺の広々とした境内から、平安朝以来春日大社の神域として人の手が入らず原始林の生い茂る春日奥山までの東西4km、南北2kmにおよぶ広大な都市公園です。美しい芝生と樹齢1000年の松木立におおわれ、約1100頭の鹿が群れ遊んでいます。飛火野(とびひの)、雪消ノ沢(ゆきげのさわ)など万葉集に歌われ、大宮人が歩いた小道が、今も静かに残っています。さらにその奥には、なだらかな芝生の若草山、春日山、高円山と、古都奈良を優しく抱くように青い山々が連なっています。 |
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ならまち |
「奈良町」という行政地名はなく、元興寺旧境内を中心とした地域を「ならまち」と呼んでいます。
江戸時代の末から明治時代にかけての町屋の面影を今に伝えます。
地域内には、奈良町資料館、奈良市ならまち格子の家、今西家書院、奈良市杉岡華邨書道美術館など魅力ある施設がたくさんあります。 |
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旧柳生藩家老屋敷 |
小山田主鈴の旧邸。江戸時代末期の柳生藩1万石の家老だった小山田主鈴は、商才に優れ、柳生藩財政を立て直した。建物は豪壮で見事な石垣と質実な造りの武家屋敷である。昭和39(1964)年には作家山岡荘八がここに移り住んだ。山岡荘八はここで著作の『春の坂道』の構想を練ったといわれる。現在は奈良市に寄贈され、柳生藩ゆかりの武具や生活用具とともに、荘八に関する資料が展示されている。山岡荘八氏の遺族より寄付 |
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なら奈良館 |
「なら奈良館」では、世界遺産に登録された「古都奈良の文化財」をはじめ、日本で初めて世界遺産に登録された「法隆寺地域の仏教建造物」、そしてアジアを中心に世界各国の木造の世界遺産を紹介しています。 |
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西大寺 |
天平神護元(765)年、東の東大寺に対する西の大寺として、称徳天皇の勅願により建立。創建当時は南都七大寺の一つとして東大寺と並ぶ規模を誇ったものの、平安遷都や度重なる火災によって衰退した。鎌倉時代に叡尊によって復興。しかし、室町時代の戦乱で再び多くの建物を失うことになる。現在の建物はすべて江戸時代以降の建築。本堂前の基壇は東塔跡のもの。十二天画像(国宝)をはじめ、重要文化財に指定されている彫刻などが数多く残されている。大きな茶碗でお茶を回し飲みすることで知られる西大寺の大茶盛行事は、叡尊が国土安泰を祈願して鎮守社神前に茶を献じたことが始まりといわれる。 |
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大安寺 |
聖徳太子によって平群に建立された熊凝精舎が始まり。宮都の変遷に伴ない、国家鎮護の官寺として、百済大寺、大官大寺などと名を変えながら各地を移転することになった。現在地に定まったのは平安遷都後で、その際に大安寺と称した。別名、南大寺とも呼ばれかつては東大寺、西大寺と並んで壮大な伽藍を誇っていたものの、中世以降衰微した。本堂は近年の再建によるもの。天平末期から弘仁時代にわたる多数の木彫仏を安置。 |
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新薬師寺 |
天平19(747)年、聖武天皇の眼病平癒を願った光明皇后が建立した古刹で、かつては七堂伽藍が整っていたという。創建当時の天平建築様式を唯一残す本堂(国宝)には、薬師如来坐像(国宝)や十二神将立像(国宝)が安置されている。薬師如来の目が大きく美しいことから眼病の人の参拝が絶えない。また、病気平癒のご利益があることで有名な紙はり地蔵は、境内奥の地蔵堂裏手に並ぶ五体の地蔵尊のうちの一体を指す。 |
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