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維新の魁、天誅義士の足跡を辿る

天誅組の変は、尊王攘夷派の浪士集団天誅組が
公家の中山忠光を首領に立てて蜂起した幕末期の事件です。
五條の代官所を襲撃してから東吉野で壊滅するまで、
幕藩体制に武力で立ち向かい、幕府の権威を揺るがせました。

【維新の魁、天誅義士の足跡を巡る】

1

激動の幕末を象徴する史跡

桜井寺 さくらいじ

10世紀中期、桜井康成の創建と伝えられる寺院で、本尊は阿弥陀如来。江戸末期、五條代官所を襲撃した天誅組が本陣としたことで知られています。境内には、討ち取った代官の首を洗ったという手水鉢があります。

天誅組本陣跡
天誅組は尊皇攘夷派の武装集団で、桜井寺を本陣に五條御政府を名乗りました。桜井寺の門前には、「史跡天誅組本陣跡」の碑があります。

DATA

  • 五條市須恵1丁目3-26

  • 天誅組本陣跡

    天誅組本陣跡

約30分(17.3km)

2

生々しい戦の痕跡

永全寺 えいぜんじ

浄土真宗の寺院で、創建などについては不詳。17世紀に真宗興正派から本願寺派に転属したと伝えられます。逆賊の汚名を着せられ、幕府軍の追討を受けた天誅組の志士は、付近を通過し、さらに南下しました。

天誅組による弾痕
永全寺に天誅組の志士が逗留したという記録はありませんが、本堂には、天誅組と幕府軍との戦いでできた弾痕が残っています。

  • 天誅組による弾痕

    天誅組による弾痕

約10分(5.3km)

3

幕府軍の手で社殿が焼かれる

丹生川上神社下社 にうかわかみじんじゃしもしゃ

1854年、孝明天皇より「外患惧服国家清平」の祈願を仰せ付けられた社。祭神は闇龗神(くらおかみのかみ)。ちなみに龗は龍の古字で、龍は水や雨を司る神とされています。丹生川上神社下社神官が天誅組に参画したため、幕府軍に火をつけられ社殿が焼失。現在の本殿は、明治期の建物です。

 きざはし
入母屋造の拝殿から本殿に続く、屋根を架した75段の木製階段は珍しい建て方で必見です。

詳細はこちら

DATA

  • 吉野郡下市町長谷1の1
  • 0747-58-0823
  • 08:00~17:00
  • 無料
  • 無料
  • 最寄り駅からの交通
       近鉄 吉野線下市口駅から
       笠木・洞川温泉行きバス「長谷(ながたに)」下車すぐ

  • 階(きざはし)

    階(きざはし)

約60分(36.5km)

4

宝泉寺 ほうせんじ

幕府軍の彦根勢はかがり火の代わりにするために寺を焼こうとしましたが、宝泉寺の住職が阻止したという話が伝わっています。現在は天誅組志士16名と彦根藩士3名の菩提寺であり、毎年11月には慰霊祭が行われます。

約10分(4.9km)

5

東吉野の鷲家口で天誅組が壊滅

龍泉寺 りゅうせんじ

1577年に開かれた曹洞宗の寺院で、野見(のみ)観音を祀っています。幕府軍に討たれた天誅組志士7名の菩提寺となっており、近隣には天誅組の事績を伝える碑などがあり、今も村民の手により守り伝えられています。

天誅義士終焉の地
天誅組は、幕府軍の討伐を受けて敗走の後、この東吉野の地で終焉を迎えました。五條での挙兵から約40日後のことでした。

詳細はこちら

DATA

  • 吉野郡東吉野村鷲家256
  • 0746-42-0555
  • 最寄り駅からの交通
      近鉄 榛原駅
        大又行きバス「鷲家」下車 徒歩10分

  • 天誅義士終焉の地

    天誅義士終焉の地

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