もっと奈良を楽しむ
2016年7月掲載
清酒発祥の地で蘇った“元祖”地酒
神を喜ばせた極上の美酒
人はいつから神に酒を捧げるようになったのだろう。
献じた酒に「うまい」と、神さまが機嫌よく酔っ払ってくれたかどうかはともかく、古より人が酒を大変特別なものだと捉えていたのは確かだ。
その麓に“クニのはじまり”が芽生えた三輪山(桜井市)の神は、酒造の神とされる。
『日本書紀』には三輪山に鎮座する
大神神社のこんな話がみえる。
崇神天皇の御代、疫病の流行などで世が大変に乱れた。しかし、三輪山の神・大物主大神の子孫である大田田根子(おおたたねこ)をもって大神を祀ると、たちまちに災厄は収まり、国は繁栄を取り戻す。
そこで、大神の掌酒(さかびと・神に奉る酒醸造を司る人)に任ぜられた活日(いくひ)命が祝いの酒を天皇に献じる。「これは大物主がお造りになった神酒です」との歌を添えて。天皇は「味酒 三輪の殿の 朝門にも 押し開かね 三輪の殿門を」と返した。一晩中飲み明かして、三輪の神の殿(建物)の戸を押し開いて帰ろうという、朗らかな歌である。
こうした伝承から大神神社は全国の酒造家たちの篤い信仰を集め、11月に行われる醸造安全祈願祭に参列した蔵元には、三輪山の聖なる杉から作られた「しるしの杉玉(酒林)」が下賜される。この杉玉は新酒の知らせとして、蔵元などの軒下に吊るされる。また境内にある摂社・活日神社は全国唯一の杜氏の祖神を祀る神社として世に名高い。
神を鎮め、大いに喜ばせた神酒。その美酒で国のますますの栄えを祝ったのだ、これ以上に美味い酒はないといえるだろう。
「三輪」の枕詞が「うまさけ=味酒」なのも納得である。
「お坊さんが考案した清酒の製法
神社と同様に寺院でも酒造りが行われていた。その酒は僧坊酒と呼ばれた。
さて、奈良市南東部の山間に1000年以上の歴史を誇る寺院・菩提山正暦寺がある。現在はひっそりとしたたたずまいだが、室町時代の最盛期には86もの塔頭が立ち並ぶ大寺院だったという。
この正暦寺で中世に、画期的な酒造りの技術が開花した。仕込みを3回に分けて行う「三段仕込み」や麹と掛米の両方に白米を使う「諸白造り」、酒母の一種・菩提酛(ぼだいもと)を用いた「菩提酛造り」など、近代醸造法の基礎となる
“濁ったお酒を搾る”製法が確立されたのだ。
腐敗を防ぐための「火入れ」も生まれたという。
清酒の誕生である。
かつて盛んに造られた濁った酒=どぶろくは保存が利かなかった。そこに水のように澄んだ、しかも格段に日持ちのする酒が登場したのだ。まさに革新的といっていい。
正暦寺での酒造りが飛躍的に進化したのは、なにもお坊さんたちが酒好きだったからではない。奈良の寺院には大陸文化がもたらす先進の知識が蓄積されていたこと、同寺が大量の僧坊酒を造る大寺院の筆頭で、それゆえに技術が磨かれたことなど様々な条件がそろっていたためだ。
通常、酒は冬に仕込みが行われる。しかし「菩提酛」を使った元祖・清酒は夏の仕込みを可能にした。すでに町民の間でも酒造りは行われ販売されていたが、それらの酒よりも「菩提酛造り」の酒は数カ月早く売り出されることになる。“夏酒”は大評判を呼び込み、大いに売れたという。
大正時代に一度途絶えてしまったこの幻の酒造法を復活させようと20年程前、県内の蔵元の有志らが立ち上がった。数年に及ぶ地道な調査と努力の結果、正暦寺の境内から「菩提酛酵母」と菩提山の岩清水から特別な「乳酸菌」が発見される。
こうして現代に「菩提酛造り」の酒が蘇ったのだ。
現在、正暦寺では毎年1月に「菩提酛酵母」造りを行っている。それを「奈良県菩提酛による清酒製造研究会」に所属する奈良県の蔵元が持ち帰り、清酒を醸造。正暦寺をはじめ、県内産のすべての日本酒を網羅するという利き酒の店
「なら泉勇齋」などで販売されている。
とろりとした甘みと旨みに思わず引き込まれる油長酒造の菩提酛「鷹長」から、芳醇な香りにすっきりした飲み口の絶妙のバランスがたまらない菊司醸造の菩提酛「菊司」まで、9つの蔵元によって味わいは千差万別。
ああ、今年も杉玉が吊るされる新酒の知らせが待ち遠しい。
文:宮家美樹
本文中の情報は2016年6月30日時点のものです
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