もっと奈良を楽しむ
いよいよ正遷宮を迎える春日大社へ
天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に 出でし月かも(古今和歌集)
「百人一首」にもあるこの阿倍仲麻呂の歌を耳にしたことのある人は多いだろう。留学先の唐で仰ぎ見た月に重なる奈良・三笠(御蓋)山の幻。遠き地の空の下、故郷を思う仲麻呂の心には常に懐かしき秀麗な山が存在したに違いない。
御蓋山にお招きした4柱の神々
古より神の山として信仰されてきた御蓋山(みかさやま)。春日大社はこの神域の西麓に深い緑に抱かれて鎮座する。
神の使いとされる鹿が優雅に遊ぶ境内の広さは約30万坪。今でさえ迷ってしまいそうなのに、明治維新まではこの約10倍を誇っていたというから驚きだ。
ゆるりとカーブを描く参道には、本殿へ誘うように苔むした石灯籠が立ち並ぶ。清々しい静寂に包まれれば、一瞬、市街であることを忘れてしまう。
2000基に及ぶという石灯籠を1日で正確に数えることができれば“長者になれる”らしい。ひとつの願掛けとも捉えられるが、それだけの根気と集中力があれば何でも成し遂げられそうではある。
春日大社の本殿は4殿あって南向きに1列に並び、東から第一殿に武甕槌命(たけみかづちのみこと)、第二殿に経津主命(ふつぬしのみこと)、第三殿に天児屋根命(あめのこやねのみこと)、第四殿に比売神(ひめがみ)が鎮まる。
社伝によれば常陸国・鹿島神宮の武甕槌命を山頂の浮雲峰に迎えて祀り、次いで下総国・香取神宮から経津主命を、河内国・枚岡神社から藤原氏の祖先神である天児屋根命・比売神を勧請し、現在地に社殿が造営された。
神護景雲2年(768)のことという。
東国から招かれた二神は、いずれも剣を神格化したとされる武神。出雲における国譲りの後も、各地に残った荒ぶる神を征伐して回った剛勇ぶりが『古事記』『日本書紀』に描かれている。国際都市を目指した平城宮には、そうした強大無比な英雄神の守護が必要だったのだろう。
創建の目的は平城京鎮護だったが、都が京都へ遷った以降も足利将軍や豊臣秀吉、徳川幕府など時の権力者によって篤く保護され、春日大社は衰退することはなかった。
また、武甕槌命は白鹿の背に乗って来られたと伝えられる。鹿が神の使いとして尊ばれている由縁である。
本殿前には秀麗な中門がたたずみ、また、その本殿の周囲を取り囲むように回廊が建てられている。
東回廊は急な上り坂で、これは土地を大きく造成することなく山麓の傾斜地に合わせて造営されたため。相当な難工事だったと考えられているが、おかげで自然美と一体になった比類なき景観が完成した。
回廊内を埋め尽くす1000基もの釣燈籠も圧巻。2月と8月の「万燈籠」では浄火が点灯され、闇夜が朱色に染め上がる幽玄のひとときを現出させる。
20年に1度の式年造替
神様に一時的に仮殿にお移りいただき、社殿の建て替えもしくは修繕を行い、再び本殿へとお戻りいただく――。遷宮(せんぐう)と呼ばれることの多いこの行事を春日大社では古くから“造替(ぞうたい)”と呼ぶ。
式年とは決められた年のこと。1年間に2200以上もの祭が催行される春日大社において、もっとも大切な行事とされるのがこの20年に1度の「式年造替」で、今回は60回という節目に当たる。
妻入り・切妻造りの母屋前方に庇を付けた春日造りの本殿は、明治維新までこの「式年造替」で建て替えられてきた。その際、旧殿は主にゆかりの神社へと撤下(てっか)されており、こうして譲与された社殿は奈良県内だけでも50近くが現存するという。
現在の本殿は文久3年(1863)のもの。これ以前に行われてきた式年造替では、徳川幕府からなんと2万石の補助があったと記録されている。国家的な大行事だったのだ。
神様が新しくなった本殿へとお還りになる「正遷宮(しょうせんぐう)」はいよいよ11月。神事そのものの拝観は叶わないが、前後にはさまざまな奉納行事が行われ、一帯はお祝いムード一色に染まる。
こうして2年以上の歳月をかけた式年造替はクライマックスを迎えることとなる。
既に本殿の修繕は9月末に完成。桧皮葺きの屋根が美しく葺き替えられ、印象的な朱の色も鮮やかに蘇った。深く落ち着いた赤は本朱だけで仕上げられた“朱塗り”ゆえの色。日本で唯一、ここ春日大社の本殿のみに用いられるというもので、中門などのオレンジがかった色合いである“丹塗り”と比べればその違いは一目瞭然だ。
普段はこの本殿を拝観することはできないが、その拝観がかなう貴重な機会となるのが、本殿前に敷き詰められる砂を一握りずつ運ぶという伝統行事「お砂持ち行事」。平成28年10月6日~23日(除外日あり)。
4殿ある本殿の間に設けられたすべての御間塀(おあいべい)が見られるのもこの時限り。別名・絵馬板と呼ばれるように5枚のうち2枚に馬の絵が描かれていると聞いた。これが“絵馬”のルーツのひとつとされるとか。
神の御殿に対して使う言葉としてははなはだ不適切だが、まさに新しく生まれ変わった本殿は見どころ満載。ぜひとも目に焼き付けたいところだ。
正遷宮の後には能や狂言、落語などの古典芸能などが“芸能の故郷”であるこの古都に集結する。月が変われば“大和の祭り納め”と称される「春日若宮おん祭」の季節だ。
秋から冬へと、美しい伝統行事に彩られる春日大社。20年に1度の静かな熱狂を体感してほしい。
文:宮家美樹
本文中の情報は平成28年9月30日時点のものです
春日大社
神護景雲2(768)年、今の地に社殿が造営され、現在のような規模が整ったのは平安時代前期のこと。境内には、朱塗りのあでやかな社殿が立ち、古来より藤の名所としても有名。
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「第六十次式年造替」
春日大社 正遷宮 奉祝行事
春日大社では、一年三六五日、二千二百回以上のお祭りが奉仕されています。
そうした中での至高最上の祭典奉仕が「式年造替」です。
昨年三月、神さまは仮殿である「移殿」へ一時お遷り頂き、御本殿の修理が進められて参りました。
そしていよいよ本年十一月、美しくご修繕成った御本殿にお還り頂きます。
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春日大社国宝殿
春日大社の境内にあり、平安時代に貴族から奉納された神宝には、蒔絵箏など蒔絵や螺鈿、平文の優美な工芸品が多く、平安の正倉院と称されます。
絵巻、鹿曼荼羅などの絵画、芸能の楽器、面、装束、文書類を加え、国宝・重要文化財(約1,300点)を含む多くの文化財を所蔵しています。
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