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天才陰陽師の系譜

今も残る陰陽師たちの町

 陰陽道の祖は奈良時代の官僚・吉備真備だと伝えられる。
 真備は遣唐使に随行して唐で学んだエリート。僧玄肪(げんぼう)とともに、左大臣にまでのぼりつめた橘諸兄に重用されて聖武天皇時代の政治の舞台でその才を発揮した。
 しかし、これを妬んで挙兵した藤原広嗣が破れて悪霊と成り果てるにおよび、真備は陰陽道の極意をもって対峙し……。『今昔物語集』には映画などでおなじみの平安京のスーパー陰陽師・安倍晴明ばりに活躍する真備が描かれている。

 日本に陰陽道がもたらされたのは仏教伝来前後。怨霊や魑魅魍魎を調伏するイメージばかりが先行する陰陽師だが、本来の仕事は天文・暦・気象を司り、国の吉凶を見定めることにある。
 聖徳太子はその思想体系を政治に反映したという。天武天皇は役所のひとつとして陰陽寮を創設し、星を観測する占星台を設置したと『日本書記』に記されている。
 やがて平城京へ遷都が行われ、陰陽師たちの町が市内に形成された。古都を見下ろす高台にある陰陽町がその名残り。ただし、読み方は「いんようちょう」。静かな住宅街では明治の中頃まで陰陽師の末裔によって「南都暦(奈良暦)」が作られ続けていた。

 この一角に、鎮宅霊符(ちんたくれいふ)神社という聞き慣れない名の小さな社が鎮座している。社伝によれば祭神は不動の天帝・北極星の神霊。つまり陰陽道の神が祀られているのだ。
 同社のお札「鎮宅霊符」はあらゆる災いを避けると珍重されたらしい。今でも一帯の氏神である、御霊神社でいただくことができる。
 晴明も鎮宅の符を授けていた。この札で家を封じると「燃えることがない」と鴨長明が書き記している。

陰陽道に封じられた“悪霊”の足跡

 陰陽町の東に不思議な史跡・頭塔(ずとう)がある。その姿はまさに“階段ピラミッド”。奈良時代に東大寺の僧が造った仏塔とほぼ確定しているが、長らく僧玄坊の首塚だと信じられてきた。

 前述の通り、玄肪と吉備真備の出世を妬んだ藤原広嗣は両名を排除すべしと反乱を起こすが朝廷軍に敗北、北九州で処刑された。
 しかしこれを機に玄肪の栄達に陰りが見えはじめ、ついに筑前観世音寺造営を口実に太宰府へ左遷されてしまう。
 事件は落慶法要の日に起きた。空はにわかにかき曇って雷鳴轟き、黒雲が玄肪を包んで天に消えたのだ。そして翌年、興福寺の南大門にその生首が落とされたという。『今昔物語集』では玄肪を連れ去ったのは「赤い衣を着て冠した者」、つまり広嗣の“悪霊”だと断じている。そして体は八つ裂きにされて肘は肘塚町に、眉と目は大豆山(マユメ→マメヤマに転じた)町に落ちたと締めくくられる。
 広嗣の霊を鎮めるべく真備は北九州にある墓へ向かった。凄まじい怨念の前に破れかけるも、陰陽道の奥義で見事鎮魂に成功する。
 玄肪の首が埋まるとされた頭塔周辺には、真備の墓と伝わる吉備塚や藤原氏と吉備氏の領地の境界石ともいわれた“表面に亀裂のある石”破石(わりいし)など、真備にまつわる伝承も残る。

 さて、手厚く祀られた広嗣は御霊となり、南都に里帰りを果たして鏡神社の祭神に治まった。真備もまた八所御霊神社などに御霊として祀られている。
 御霊とは「恨みを抱いて非業の死を遂げた者の霊」が鎮められた姿をいう。81歳の長寿をまっとうした真備には御霊になる理由は見当たらない。それとも何か恨みを抱くような秘めた歴史があるのだろうか。
 真備にはまだまだ謎がつきまとう。

舞台は東大寺!良弁僧正の術比べ

 安倍晴明は幼い頃に“吉備真備の書物”で陰陽道を学び、奥義のすべてを受け継いだとされる。宿敵の蘆屋道満は弟子になると偽って晴明に近づき、かの真備の書物を盗み出したという。
 道満が晴明に下った理由は陰陽の術に負けたからだが、かつて東大寺でもそんな術比べが行われていた。

 奈良時代、霊験に優れた金鐘(こんしょう)行者がいた。金鐘行者とは大仏造像に尽力し、東大寺の初代別当となった後の大僧正・良弁である。
 ときに大仏殿建立の沙汰が下され、土地を所領していた良弁と辛国(からくに)行者が験徳(加持祈祷により霊験を得ること)で競い、勝者がその任に当たることとなった。
 術比べでふたりが呪言を唱えはじめる。と、突如現れた数万の大“蜂”が良弁に襲いかかるや飛来した鉄の大“鉢”がそれをすべて打ち払った。戒められた行者は悪心を結び、仏法を妨害しようと誓ったという。
 『古事談』に記されたこの話は、己の力を過信して良弁に術比べを申し込んだ行者がやり込められるという巷説に転じていく。そして敗れた行者は倶梨伽羅明王の像を擁して地中に入り、塚を成したと結ばれる。
 塚には行者が良弁に投げ付けた剣も埋められたので「剣塚」の名がついたという。剣塚は今も東大寺境内の勧進所にあるとされるが、残念ながら非公開。
 また、大仏殿を見晴らす東の丘には辛国社が鎮座する。古くは「天狗社」と呼ばれたこの社は、大仏殿修造を妨げた天狗を祀って鎮めたとも、良弁僧正が改心させた天狗を仏法の守護として祀ったとも伝えられる。
 「悪心を結んで寺の敵となった」辛国行者こそが“天狗”だという説も。天狗の葉団扇の神紋を見ながら、この場所が術比べの舞台だったのではないか、と伝説に思いをはせた。

文:宮家美樹
本文中の情報は平成28年3月31日時点のものです

鎮宅霊符神社

奈良市陰陽町7
TEL なし
営業時間 : 参拝自由
休業日 : 参拝自由

八所御霊神社

奈良市秋篠町742
TEL 0742-43-1618
営業時間 : 参拝自由
休業日 : 参拝自由

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