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大和神社 おおやまとじんじゃ

日本大国魂大神は大地主大神で第五代孝昭天皇の年、宮中内に天照大神と同殿共床で奉斎されたが、天照大神を皇女豊鋤入姫命をして倭の笠縫邑に移された時、皇女渟名城入姫(ぬなきいりひめ)に勅して、市磯邑(いちしのむら)(大和郷)に移されたのが当神社の創建である。以降、神武天皇の功臣椎根津彦の子孫市磯長尾市を神主としてから、その子孫大倭氏が長く奉仕した。近世には同族の市磯氏が代々奉仕し明治に至った。上古より朝野の崇敬篤く、神階は寛平9年(897)に正一位に叙せられ、「延喜式」に大和坐大国魂神社三座とある。白河天皇の時に二十二社に列し、朝廷の奉幣も絶えず、明治4年5月14日には官幣大社に列せられた。神封も天平勝宝(七四九)から神護景雲元年(七六七)にかけて、大和、尾張、常陸、安芸、出雲、武蔵の諸国三二七戸とあり、伊勢の神宮に次いで多かったが、その後兵乱等にて衰微した。奈良時代、朝廷の命により支那の国に渡って学ぶ遣唐使や使臣は、その出発に際し長途の交通安全の祈願を込め、その使命を果たしたという。又、戦中は世界最大最強を誇る「戦艦大和」の守護神として昭和十七年十二月、特別神符遷座祭を執行。その後、同艦の艦長以下乗組員も度々当社を参拝。同艦は昭和二十年四月七日鹿児島県坊ノ岬沖にて撃沈され、その英霊である第二艦隊司令長官伊藤整一命外二七三六柱と護衛艦の方々が境内の祖霊社に合祀されている。

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