神社・仏閣
生駒・信貴・斑鳩・葛城エリア 葛城市
神社
棚機神社
たなばたじんじゃ
5世紀頃、大和政権の東、葛城山麓の北端に位置する當麻町(現葛城市)周辺では葛城氏(葛城地方を本拠として四世紀末~五世紀に活躍した古代豪族)を中心とする有力豪族が存在し、その中には、染色技術を生業とする置始氏や、機織技術に富んだ倭文氏などの伴造(大和政権に職能奉仕をした技術者集団の長)がおり、中国南朝や朝鮮半島(百済・新羅)などから我が国にいままで伝来していなかった機台付の機(タナバタとは棚のある機、機台に組み立てられた立体的な機のこと)やそれを織る織女、オトタナバタの説話や七夕儀礼(中国では機織り技術の向上を願う儀式)が三者一体となってもたらされました。
これを大和政権下の置始氏や、倭文氏が最初に受容していたので、七夕儀礼を天羽槌雄神(機織の術を教え授けられた神)やシタテルヒメ(渡来系の機織り集団に奉斎された女神)を祭神とする、本来の鎮座地である當麻町(現葛城市)太田で、日本最初の棚機の儀式が行われていたと考えられます。