奈良ファン倶楽部 WEB通信『奈良COTO絵巻』

誰にも会わない奈良~脱三密!歴史探訪~

空の広さと、知る人ぞ知る隠れた歴史スポットの多さなら奈良におまかせ!
三密にならない奈良の旅に出かけよう!

第2回

天空の村・入谷へ 奥明日香を歩く

遠く、はるか遠くに、大阪のビル群を望む。雨上がりの晴れた日だが、少しガスってハルカスは見えない。まあ、見えなきゃ見えないでそれもよし。なぜって今日は、空を楽しむために来たのだから―。明日香村入谷(にゅうだに)集落の最奥、標高約450mに鎮座する大仁保神社は、空色の望遠鏡とらくがき帳を備えた「天空展望台」。小さな鳥居の小さな神社は、集落一の人気スポットでもある。

秋に入って、明日香の村にも少しずつ人が戻りつつあるようだ。石舞台古墳から南へ一本道を上っていくと、やがて棚田で知られる稲渕集落に入る。勧請橋の南側の道路端からは棚田の風景がよく見渡せ、多くの人が自然と足を止める。谷の向こうへと続く案山子ロードに、今年ひときわ大きな姿を見せるのは「バカ殿様」。真っ白に塗られた顔が高い空によく映えて、見ている方もつい笑ってしまう。おおかたの稲渕めぐりといえば、この案山子ロードを散策して農村風景を満喫したらひと段落で、勧請橋の上流、奥明日香まで足を延ばす人は少ない。しかしそこには今も、明日香本来の素朴な風景が残っている。ちなみに勧請橋のところで飛鳥川に渡された勧請縄(男綱)は、五穀豊穣と子孫繁栄を願い、災いが村に入ってこないようにとの祈りが込められたもの。ちょっとお邪魔します――綱に挨拶してから上流の栢森集落へ進む。

藤原宮跡から明日香稲渕、栢森を抜け、芋ヶ峠を越えて大和上市から吉野宮滝へ入るルートは、かつて持統天皇も足繁く行幸した道であると考えられている。車道に並行する飛鳥川の上流は水量豊かで、瀬のたぎる音が山間に大きく響く。万葉集に詠まれた飛び石の印象から、飛鳥川と聞くと穏やかな川を想像するが、かつてはよく氾濫する荒川でもあったという。道はやがて栢森集落の入り口に鎮座する式内社・飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社(あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ)に出る。200段ほどある急な石段を登り切ると、南淵山をご神体とする拝殿がある。稲渕・栢森・入谷・畑の氏神で、木漏れ日の射す境内はきれいに清掃され、拝殿前の苔の広場が足に心地よい。神社の先の勧請縄(女綱)を過ぎれば、重厚な民家や蔵の連なる栢森集落である。山間に忽然としてこのような集落が出現することにまず驚かされる。集落の奥には栢森の由来となった式内社の加夜奈留美命神社(かやなるみのみことじんじゃ)があり、祭神の加夜奈留美命は日本最古の女性神ともいう。

加夜奈留美命神社を過ぎたら芋ヶ峠へ向かう道から分かれ、いよいよ奥明日香の最奥、入谷へと向かう。入谷は大海人皇子を支え、海にも山にも長けた海人族が住んでいたと伝える地で、栢森からは坂道を20分ほど登る。歩く人もほとんどいない集落だが、日当たりのよい谷あいに築かれた村の表情は明るい。急斜面に家々が建つ風景はまるで美しい箱庭のようで、どこかアジアの山間の村々を思わせ、桃源郷に迷い込んだような心地さえする。遠くから聞こえるシカの声も、奈良公園の「都会」のシカとは違って実に伸びやかだ。
 集落に入ってからさらに道を登ること5分、集落一の高みに大仁保神社が鎮座する。祭神は仁徳天皇で、明治44年(1911)に宇須多岐比売命神社の竹内社に合祀されたが、村人の信仰心あつく、大正10年(1921)に石鳥居が建てられ、社殿が継承されてきた。通称「天空展望台」はこの本殿の脇にある。金剛葛城をはじめ、晴れていれば大阪や六甲山まで一望できるという。地上の眺めもいいけれど、せっかくなら思いっきり空を体感してほしい。仰ぐというより、天空に解き放たれたように感じられるはずだ。小さな神社のでっかいご神徳である。

今回のぼっち旅。すれ違った人の数は、入谷集落でぽつんぽつんと〆て9人、密じゃない!

大仁保神社境内(明日香村入谷)。
「天空展望台」の名に違わず、村一番の眺めを楽しめる場所でもある

案山子ロードに立つ「バカ殿様」(明日香村稲渕)。
大人の背丈の3~4倍はある。かなりいい出来

飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社(明日香村稲渕)。
雨水の受けにはお釜が使われており微笑ましい

飛鳥川にかかる女綱(明日香村栢森)。
毎年1月に縄が渡される。綱掛は栢森の女綱は仏式、稲渕の男綱は神式で行われる

静けさにつつまれた入谷の集落。
「帰ってきた」ような懐かしさを覚える

▲ ページ先頭へ