電車でバスで、野越え山越え何秒何分何時間、もひとつおまけに幾日かけて、辿り着いたは青丹よし寧楽のみやこの心地良き。仰ぐたび、見るたび、聴くたび、触るたび、奈良踏みしめし喜びを、じわじわ地味~に噛みしめたくて、狭くしつこく歩く旅。
あァ、奈良に来た! 第6回
人間がいまも自然のなかに暮らす地は、早起きして訪ねるにこしたことはない。理由は1つ。ニンゲンが歩いてはいけない時間と、ニンゲンに活動の許された時間との境目に、奇跡は現れるから。奈良市内から吉野山へ、夜も明けきらぬ間に歩き出した旅人に、神様はちょっとしたご褒美をくれた。
8月下旬の朝6時前。森はまだまどろみの中にあるようにほの暗い。吉野山奥千本へと向かう車道は幾重にもカーブし、頭上を木々が覆う。それでもところどころに朝の陽が射し始め、夏らしい空気がゆっくりと広がっていくのがわかる。少しひらけた場所に差し掛かかったとき、前方に何かが立っていることに気が付いた。野生の親子鹿だ。人慣れしていない、凛とした気高さがある。母鹿が前足で強く地面を叩きながら、「ピィッ!」と短く警戒の声を上げる。親子はしばし草を食み、やがて森の奥へゆっくりと去っていった。それは境目の時間の奇跡。静まった森の中からまだ誰かが息をひそめてこっちを見ている、そんな気がした。
吉野山は、修験道の祖・役行者が開いた信仰の山である。大峯山中での厳しい修行の末に蔵王権現を感得した役行者は、その姿を桜の木に刻み、山上ヶ岳と吉野山(金峯山寺)に祀った。以来桜は御神木として大切にされ、参詣者は信仰の思いから桜の木を植え続け、吉野は桜の山になった。3月下旬から3週間ほどかけて下千本から奥千本までヤマザクラが咲きのぼり、その起こりを知らずとも、見る者を穏やかな気持ちにさせてくれる。新緑の青葉、秋の紅葉、冬の雪化粧と四季の魅力にあふれ、訪れる人は通年絶えない。
しかし、さすがに真夏は人足もまばらだ。山の神の使いと出合った後、人には出合わぬまま奥千本へ向かう。金峯神社の境内からさらに奥に続く急斜面を登り、地蔵の辻を左手へとれば、すぐに安禅寺蔵王堂跡(宝塔院跡)である。廃仏毀釈の前まではこの辺りにはいくつかの堂宇があったという。今ではわずかな平地に寺院の名残を見るばかりだ。谷側に見晴らしのよい道をさらに下ると、四方正面堂跡を過ぎたあたりから、下方に西行庵のあずまやが見えてくる。
とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなき住居かな
吉野山奥千本は、平安~鎌倉の歌人・西行が、武士を捨てて3年を過ごした地と伝える。桜や楓の古木に囲まれて、「西行庵」がひっそりと佇む。屋根の修理がままならず覆いをかけられているのは痛々しいが、皮肉にもその姿に隠遁生活の侘しきを思いもする。花を愛した西行も、こんな夏の朝を迎えたのだろうか。昨日の雨で洗われた木々の葉は青々として眩しく、朝の光まで心なしか緑色に感じられる。8時、まだ訪れる人もなく、明るい隠遁の地に静寂が沁みわたる。
奥山の静けさに浸った後は、中千本・下千本へ。この季節、今年収穫した青葉で巻いた柿の葉寿司が食べられる。完全なる俗世間へ戻る前に、千本の吉野水分神社へご挨拶に。10時、社殿に急に強い陽が射したとき、この日2回目の奇跡に出会った。雨水をたっぷりと含んだ本殿の茅葺屋根から、日に照らされて俄かに水蒸気が立ち昇ったのである。あたかも神の社を隠す霞の棚引くごとく、水蒸気はしばしゆらゆらとたゆとい、ふっと空へ消えていった。わずか1分ほどの奇跡、これも七ツ立ちの恩恵である。
山道を下りる途中、花矢倉から吉野山を一望する。蔵王堂のまわりに連なる家並みが、ふと愛しく感じられる。夏の終わり、吉野の山は静かである。
奥千本の西行庵。春や秋には花や紅葉を楽しみに訪れる人も多い
朝一番の奇跡、気高き親子鹿との遭遇
金峯神社奥の地蔵の辻。道は修験の寺、黒滝村の鳳閣寺にも通ずる
西行庵近くの苔清水。後世に西行の面影を訪ねた芭蕉の句碑が立つ
本殿や拝殿、楼門など、桃山時代の建築が今に伝わる吉野水分神社
金峯山寺蔵王堂遠望。山のあちこちに、秋の気配が忍び寄る