電車でバスで、野越え山越え何秒何分何時間、もひとつおまけに幾日かけて、辿り着いたは青丹よし寧楽のみやこの心地良き。仰ぐたび、見るたび、聴くたび、触るたび、奈良踏みしめし喜びを、じわじわ地味~に噛みしめたくて、狭くしつこく歩く旅。
あァ、奈良に来た! 第11回
「この川をさかのぼったらどこまで行けるんだろう」「下流にはどんな町があるんだろう」―子どものころ、こんな思いを抱いた人は多いのでは? 川の流れは、まだ見ぬ遠い土地へ淡い憧憬を抱かせる。今回は奈良県を流れる4つの河川水系のうち、大和川の本流に沿って、源流から海へ向け、寄り道しながら車を走らせた。1日で海へ流れ出るはず…だった…けど!?
正直に言えば、まさかそこまで近寄れるとは思ってもみなかったのである。「源流はたぶんこの山の中だよね、見えないけど」と、引き返すことになるだろうと思っていたら、意外や意外、行けちゃったのである。むろん、不法侵入はしていない。
少し前から話そう。大和川の源流へは、桜井都祁線(県道38号線)を大和川に沿ってひたすら山へ向かう。桜井の古刹・長谷寺を過ぎ、初瀬ダムのダム湖(まほろば湖)を過ぎ、長谷寺奥の院・瀧蔵神社へ向かう道を過ぎ、大丈夫かな~と思いながら小夫集落のはずれにある天神社笛吹奥宮を過ぎ、やがて左手に注連縄を巻いた磐座が見えたら目的地は近い。700mばかり進むと川は二股に分かれる。源流へは道路沿いではなく山からの流れをたどる。ここまでくれば大和川も、畑の横をさらさらと流れるせせらぎだ。流れは山中を1kmほど進んだところで不意に開けた野原のなかに見えなくなり、水音もいつしか消えた。
大和川は桜井市と天理市の境にあたる山中に源を発し、奈良盆地を西進してやがて大阪湾へ注ぐ、長さ68km、流域面積1,070平方キロメートルの一級河川である。奈良・大阪に馴染みがなければ、「大和川」と聞いてももう一つピンとこないかもしれないが、その支流の名前は奈良好きなら耳にしたことのあるものばかり。佐保川、飛鳥川、富雄川、竜田川など、万葉に詠われた清流が軒並み大和川に注ぎ込んでいる。また初瀬川は、大和川本流上流部の名称である。初瀬から流れ下った川は奈良盆地を初め北西に向かって流れ、天理で布留川に合流したあとほぼ西進して、大小の支流と合流しながら大阪に流れてゆく。大和川は、まさに「大和を流れる川」「大和の川」なのだ。
水音がしなくなった野を源流と思い定めたら、次は下るのみ。大和川と一緒に、移りゆく風景を眺めながら海まで一気に…と思ったが、川沿いに次々と現れる大小の名所旧蹟や石仏、磐座の多いこと。どれもこれも唐突に現れて時間配分も何もあったものではないが、思いがけない出会いは流れ流れての旅に相応しく、ついつい自発的に堰き止められてしまう。小夫の集落だけでも大変だ。「猿田彦之命」と刻まれた磐座(先述)、天神社笛吹奥宮、六字名号やお地蔵様を彫った磨崖仏、寝地蔵、倭笠縫邑伯瀬斎宮伝承地碑、小夫天神社、凝ったつくりの勧請縄と、引っ掛かりどころは満載。ことに巨石の側面に刻まれた寝地蔵と、割れた石の断面に彫られた阿弥陀如来は、これを大切にまつる人たちの思いが静かに伝わってくるようで感動的であった。ちなみに寝地蔵は、道沿いに案内板があり同じ小夫集落にあるとはいえ、川からはだいぶ離れている。ここばかりは、ちょっと氾濫しないと行きつかない。
受験生にはあまり嬉しくない名前の天落神六社権現を経由して、昼を過ぎてもまだまほろば湖、長谷寺参道でくだならぬ渦を巻いたり「瀞とろ」したり、出雲の集落で野見宿禰の墓跡に挨拶して、桜井市金屋に着いたのがちょうど15時。海石榴市(つばいち)推定地で、ポロロッカの如く大和川をさかのぼってきた仏教と、ここに至りようやく邂逅できた。そこそこの朝の時間から出てきたのだが、いまだ桜井を通過できず。なかなかゴールできない大和川の旅に、朝日放送テレビ『探偵!ナイトスクープ』の名作を思い出した人もいるのでは?(「電車より早い?! 大和川下り」1996年10月放送)。21市15町2村を通って海へ出る大和川フーテンの流れ旅、まだまだ続きます。
桜井市小夫の大和川源流付近
大和川源流付近の澄んだ流れ
割れた巨石の断面に彫られた阿弥陀如来
受験の時期に辛い名前ですが立派な神様です
桜井市金屋付近から初瀬方向を望む。中流域らしい川幅をみせる
土手には仏教伝来の地の石碑が立つ